歴史的建造物の調査

武家屋敷の調査
城下町金沢では、城以外に6割以上の面積が武家屋敷によって占められた。中でも侍階級の武家屋敷が最も多く、広い範囲に分布した。これらの侍屋敷は、門を構え土塀を巡らして、堂々とした屋根の梁組意匠を表へ向けて格式を示した。広い邸地に庭木を茂らせて城下町を覆ったため、「森の都」と謳われた。【増田】

中級武家屋敷の長屋門
中級以上の侍屋敷の門は、格式の高い長屋門であった。馬に乗る身分であったため、長屋門内には必ず馬屋があった。ほかにも長屋門内には、物見の武者窓が付いた門番の詰所や、納屋などが設けられた。【増田】

上級武家屋敷の長屋門
武将の上屋敷は、豪華な唐破風屋根の玄関式台を備えた書院造であった。この津田玄蕃邸は、藩政時代は金沢城の大手門前にあったが、現在は兼六園の傍らに移築されている。【増田】

足軽屋敷の調査
藩政時代に、侍よりも下級の兵卒階級が暮らした足軽の屋敷である。土塀は許されず、杉などの生垣を巡らして団地状の計画的な集団居住を営んだ。戸数は侍屋敷の約4,000戸に対して約2,700戸であった。侍屋敷を最小限に定型化した優れた住様式によって、金沢の近現代へと永く継承された。【増田】

大工町の町家調査
藩おかかえの御大工が居住した町である。立野畳店は、江戸時代に建てられたこの大工の町家へ、明治中期になって入居した。伝統的な低町家の様式を伝えるとともに、店正面には建具の原型である蔀戸(しとみど)が残り、その傍らには今日では希少な割竹組みの簾虫籠(すむしこ)も維持されている。昼間は蔀戸と入れ替える障子蔀も使用されている。藩政時代の御大工町家のすべてを知ることができる貴重な遺構である。【増田】

里見町の景観調査(こまちなみ保存地区)
金沢市の「こまちなみ保存条例」によって指定された里見町地区である。藩政時代に中級の侍であった里見氏が居住した界隈が、都心の一画であるにも関わらず、閑静な武家町の風情を今に伝えている。【増田】

主計町の調査(重要伝統的建造物群保存地区)
暗がり坂          裏小路

尾張町の旦那衆が主計町茶屋街に通った「暗がり坂」である。泉鏡花が名づけたように、大樹の影下でひっそりとした別世界感がある。

主計町の表は浅野川に面した開放的な茶屋街であるのに対して、裏通りは極端に狭い小路である。暗がり坂から裏小路を抜けて河畔へと、限られた空間であるのもかかわらず、風情が大きく変化する。【増田】

卯辰山麓寺院群(重要伝統的建造物群保存地区)
卯辰山の山裾に四十ほどの寺院が展開する。藩祖前田利家が西暦1599年に亡くなった際に、麓に鬼門封じの卯辰八幡宮を建立して奉り、翌年に真言触頭の明王院を隣地に置き、さらにその翌年に末寺八ケ寺を配したことに始まっている。【増田】

社寺建築などの調査
金沢をはじめとする石川県内、およびその周辺地域には、戦災や都市開発から免れた数多くの歴史的な建物が残されている。寺院・神社などの宗教建築、民家・町家・数寄屋・茶室などの住宅建築、明治以降の洋風建築や近代建築にいたるまで、実測調査に基づく図面と調査報告書を作成し、その文化財価値を評価する。【山崎】

金沢城辰巳櫓の復原模型制作
辰巳櫓は金沢城南端の高石垣上に建てられていた城下から最も目立つ象徴的な櫓であった。しかしながら西暦1759年に消失して以来、藩の財政難がわざわいし、ついに再建されることがなかった幻の櫓である。一般財団法人北國総合研究所の委託事業により金沢工業大学において史料や測定にもとづいて復原考証し、模型として制作した。城下から見上げる位置にあったことから縮尺20分の1の大型模型として、これまで誰も見たことがない迫真的な辰巳櫓がよみがえった。【増田・蜂谷】

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