Kanazawa Institute of Technology Applied Ethics Center for Engineering and Science / 金沢工業大学科学技術応用倫理研究所

特色GP('07-'09)

特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)
「価値の共有による技術者倫理教育―行動を設計する新教養教育―」

特色GPの紹介

(1) 取組の実施プロセス

(1)-1. 技術者倫理教育の導入と狙い

技術者の意思決定と行動は社会を変えます。しかし、今日の高度技術社会において、技術者が自らの行動を設計する基準となる行動規範が揺らいでいます。「技術者」という明確な将来像があるはずの工科系大学で学ぶ学生も、「技術者になるということ」への理解や自覚、人間関係や社会との係わり、更に自分自身の取るべき行動について迷っています。

本学は1997年に科学技術応用倫理研究所を開設し、技術者のための新教養教育として「技術者倫理」を主軸とした教育プログラムの研究・開発を行ってきました。また、その教育実践を2004年度から展開しています。多様な価値観が並存する今日、技術者の卵である学生が社会で活躍できる技術者として「共有すべき価値」を認識し、この価値観に基づく「行動設計」能力を持つことが重要であると考える本学は、技術者マインドを涵養し、自己実現を目指して「自ら行動できる」教養教育を組織的に展開する必要性を痛感していました。本学では、以前から技術者としての価値観とマインドの形成を重視した科目を設置してきました。1980年度には「科学技術史」(必修・2単位)を開講し、過去の科学技術者がどのような価値を重視したのかを体系的に提示することにより、1年次から学生に技術者としての倫理観や使命感を涵養することを目指しました。さらに、1995年度から「社会と技術者」(選択必修・3単位)を開講して、技術者とは何か、社会はどのような技術者を求めているのか、また学生はそのためにどのように学び行動するべきか、などを深く考察する機会を提供しました。

本取組は、このような実践の成果を基盤とし、2004年度からの新教育課程において、本学が展開する「技術者倫理」を人間形成教育の血脈とした新教養教育です。(図1参照)

図1

図1. 金沢工業大学の教育課程概念図

すなわち、本学は「自ら考え行動する技術者」を教育目標として、高い使命感を持ち、公衆の安全・健康・福利を最優先する技術者としての価値観を共有し、これに基づいて判断し行動できる技術者を育成しています。

この技術者倫理教育プログラムは、技術者としての価値判断能力を高める問題発見解決型教育として、学生の「能力の総合化」を目指すものです。また、技術者倫理教育プログラムの導入は、本学が1995年度からカリキュラムの主柱とした工学設計教育(技術的な課題を中心とする問題発見解決型教育)に加えて、社会・経済・文化・組織などの多様な価値に関連する倫理問題を問題発見解決プロセスに組み込むことで、「多様な価値を認識する能力」「適切に価値を判断する能力」、そして「自らの行動を設計する能力」の向上を教育目標として人間力教育のさらなる充実を図るこれまでにない教養教育です。

(1)-2. 技術者倫理を血脈とする教養教育の実践

本学は、技術者倫理を血脈とする教養教育を、専門科目を含めて、科目群を有機的にリンクさせた技術者倫理教育プログラムとして展開しています。これは、コアとして、1年次の「技術者入門Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」(必修・各1単位)、2年次の「日本学-日本と日本人-」(必修・2単位)、3年次の「科学技術者倫理」(必修・2単位)という必修科目群を開講し、さらに、専門教育においてもマイクロインサーションと呼ばれる手法を用いた倫理教育を実践する教育課程全体での取組です。(図2参照)

図2

図2. 技術者倫理教育プログラムの体系

マイクロインサーションとは、各授業科目に、適度な倫理的・社会的文脈を組み入れることで、技術者としての自覚を呼び起こし、技術者が重視すべき「価値」について考える機会を学生に与える教育手法です。

こうした教育課程全体を通じた倫理教育を実践するために、本学では全学部15学科から2名ずつ選ばれた委員で構成する技術者倫理教育タスクフォース委員会(委員長:教務部長)(以下、タスクフォースとする)を設置しています。現在、このタスクフォースは、現行の科目内容を大幅に変えることなく、技術者倫理教育の要素を組み込むグッドプラクティスを収集・分析しています。また、各学科から選ばれた委員と、コア必修科目の1つである3年次「科学技術者倫理」を設計・開発・導入した「科学技術応用倫理研究所」の研究員を兼ねる教員との協力によって教材開発と教育実践を展開しています。

(2) 取組の特性

(2)-1. 価値共有と行動設計能力の育成を目指す技術者倫理教育プログラム

技術者倫理教育プログラムは、図3に示すような学習教育目標を掲げ、コアとなる必修科目とマイクロインサーションによる倫理教育を有機的に連携させることにより、「倫理問題を解決するために自らの行動が設計できる」能力を育成します。

1年次に開講される「技術者入門」では、学生は「技術者になるということ」への意味を学び、技術者としての自己に気づきます。この科目を通じて、技術者としての生涯設計の起点、また、技術習得の始点として「技術者マインド」を形成し、技術者としての使命・責任・倫理への理解を深めます。さらに、自己実現を目指して、技術者としての基本的なライフプランを構築できる能力を養います。

図3

図3. 技術者倫理教育プログラムの学習教育目標

2年次の「日本学-日本と日本人-」では、日本の歴史上の人物に焦点をあて、その人物が置かれた歴史的文脈での価値判断や行動を学び、さらに日本人の国民性に関する理解を深めます。また、これらの人物を通して、諸外国の多様な価値観を知り、異文化に対する開かれた心とこれを尊敬する真摯な姿勢を養います。

3年次「科学技術者倫理」は、技術者倫理教育の中軸です。本学では、倫理教育とは価値の共有を目的とした「価値共有プログラム」、すなわち、①技術者として重視すべき価値を明確化し(Plan)、②それらを学生達との間で共有し(Do)、③共有の度合いを測定・評価し(Check)、④その結果を基に教育課程全体を継続的に改善する(Act)という包括的な施策であると考えています。その中心が本科目です。(図4参照)

図4

図4. 技術者倫理教育プログラムの体系

本科目では、単に倫理理論や過去の事例を学ぶのではなく、自身が将来直面する可能性のある現実的問題(real world problem)を疑似体験し、解決することを重視しています。学生は多くの事例を自分自身が当事者ならばどうするかという視点で考察し、倫理的ジレンマを体験します。また、倫理問題を分析し、これを解決するための行動を設計する方法を学びます。

(2)-2. マイクロインサーションによる教育課程全体を通した技術者倫理教育

本学では、技術者倫理を血脈とする教養教育を展開するため、先述した「マイクロインサーション」を導入した教育に取り組んでいます。これによって、学生の倫理問題に対する感性を育て、技術以外の価値も含めた総合的問題発見解決能力の向上を目指しています。

現在、すでに、「工学設計Ⅰ、Ⅱ」、「コアゼミ」等に、技術者として最も重視すべき価値である「安全」を学ぶ内容が組み込まれています。また、自らの設計が社会や環境に与える影響も考察します。さらに、専門科目の中の課題等に社会的な文脈を与えることにより、技術者倫理に関連する要素を組み込む準備をしています。このような学習プロセスにより、学生は、技術が社会の中に、そして社会のためにあることを認識するとともに、技術者の意思決定が社会に与える影響を考察し、技術者として重視すべき価値を共有することになります。そして、学生は技術者としてのアイデンティティの確立を進めます。

これらの教育活動の中心として全学的な調整を行うのが、前述の「タスクフォース」であり、コア必修科目群との連携を図りながら、各科目に倫理的要素を組み入れることで教育課程全体を通じた倫理教育を推進しています。

(3) 取組の組織性

(3)-1. 科学技術応用倫理研究所の設置

本学では、1997年に科学技術応用倫理研究所(以下、科技倫研)を設立し、科学技術者の価値に関する研究を進めると同時に、技術者倫理教育を実践する基盤を築いてきました。文部科学省や科学技術振興機構の助成を受けながら、これまでにない学術領域である技術者倫理の構築を目指して、教科書の出版・翻訳、教材開発、国際的シンポジウムの企画・開催等、着実に研究を進めてきました。その最も重要な成果が、先述した「価値共有プログラム」としての技術者倫理教育の設計・開発です。

現在、15名の本学教員が研究員として活動しています。研究員の研究分野は、工学系諸領域だけでなく、科学史、科学技術社会論、経営倫理、原子力社会学、哲学・倫理学、宗教哲学等、多岐にわたります。その中には技術者として企業での実務経験を有する研究員が5名います。また、海外の研究員も10名参画しています。このように、学際性、国際性、実務経験と実践力を備えた本研究所を中心に、本学では技術者倫理教育を設計・開発・導入してきたのです。技術者が重視すべき価値を明確化し、これらを共有するためには、「社会の中の技術」のあり方をさまざまな視点から考察し、その成果を組織として体系化することが必要です。本学では「技術者入門」および「科学技術者倫理」の担当教員が本研究所の中核となり、研究とその成果の教育への展開を効果的に実践しています。

科技倫研は、教育現場で使用できる技術者倫理関連の事例を教材化することをミッションの1つとしています。具体的には、学内のタスクフォースおよび学外の諸機関(東京電力、日立製作所等)と連携して、技術者倫理に関連する現実的問題を収集・分析・分類し、教材化しています。また、各専門科目へ倫理的要素を組み入れる方法に関するワークショップを開発・実践しました。このように本研究所は、各科目を「倫理」という網目で有機的にリンクさせ、教育課程全体を通じた倫理教育を展開するためのプラットホームとなっています。

(3)-2. 技術者倫理教育の実施体制

具体的な技術者倫理教育の実施体制は図5に示すとおりで、科技倫研メンバーがコア科目を担当するとともに、専門教育では専門課程の学系主任が主要科目のなかで倫理問題を取り上げます。また、工学設計科目と専門科目では、各科目担当者が可能な範囲でマイクロインサーションを行う一方、科技倫研は定期的に、この手法に関するワークショップを開催し、専門教員を支援します。また、タスクフォースは、各学科で行われる倫理教育と必修科目群の調整と情報交換を行います。

図5

図5. 技術者倫理教育プログラムの実施体制

科技倫研は、図5に示す4つを主なミッションとして活動しています。特筆すべき点は、①に関しては、先述の「価値共有プログラム」としての技術者倫理教育という概念の確立、②では、必修科目「科学技術者倫理」の設計・開発・導入です。

特に、「技術者倫理教育の学習教育目標の明確化、目標を達成するための学習者を中心とした教材、ケース(事例)を活用した教育方法、教育人材、教育成果の測定ツール」を整備し、他の教育機関等でも利用可能な「パッケージ」を完成させたことは大きな成果です。また、研究所は国内外のさまざまな機関と交流し、情報交換を行なうとともに、技術者倫理教育の国際的展開も視野に入れた活動を行っています。

(4) 取組の有効性

(4)-1. 授業アンケートの取組と結果

本学は全ての授業科目で授業アンケートを実施しています。本取組の有効性を検証するために、コア科目群の要である3年次「科学技術者倫理」の授業アンケート結果からアウトカムズを測ることができます。また、この科目では、本科目で学んだことを本学の教育目標と関連づけながら論じる「学習教育目標に関するレポート」を課しています。具体的には、①本科目を受講しての感想や反省、②本科目で学んだこと、新しく知ったこと、さらに③それらと本学の教育目標との関係について、学生が自省的に記述します。

まず、授業アンケートの結果では、それぞれの項目について、達成度が60%・80%・100%とする学生の合計が、全体の約9割となっています。他の科目に比べ学生自身の達成度に関する自己評価が非常に高いことから、本取組の有効性を見ることができます。また、「学習教育目標に関するレポート」の分析から、本取組の有効性を定性的に評価できます。このレポートの記述から、1年次「技術者入門」科目以降いかに技術者としてのアイデンティティを確立しながら、「技術者としてどのような価値を重視し、どのように意思決定をなすべきか」について、学んだ足跡を読み取る定性的な分析を行った結果、コア科目群で課される非常に大きな負荷にも関わらず、多くの学生が、技術者倫理教育プログラムに対して肯定的意見を持っていることがわかります。

(4)-2. 行動規範を重視する文化の醸成

本学では、学園の構成員(学生・理事・教職員)がお互いに共有すべき価値を「KIT-IDEALS」という行動規範として定めています。この学園全体の行動規範は、科技倫研の提案で、本学園が組織的に創りあげたものです。学園全体の価値観が組織的に形成されていることを実体験することは、技術者を目指す学生が、技術者としての「価値共有」を進める上で有効です。特に、この「KIT-IDEALS」に示されている価値は、どれも技術者として(また社会人として)重視すべき価値に他ならないので、本取組の一環といえます。

学園としての価値の明確化が学生によい影響を与えている証左として、学生団体である「学友会」が自主的に、学園の「価値」を共有しようと能動的な行動を始めたことが挙げられます。2006年度の学友会が、本学学生の共有すべき価値を「学生宣言」として明文化し、これを学生議会が満場一致で採択した出来事が代表的なものです。この宣言は、学生が主体的に本学学生としてのモラルの向上を図り、「KIT-IDEALS」に示された価値を尊重し、共有することを謳ったものです。このように、行動規範を重視する文化が醸成されつつある事実は学生の自主性や人間的成長を裏付けるものでしょう。その他、課外でのプロジェクト活動で、組織的に倫理的行動を取る姿勢が学生に芽生えています。

(5) 今後の実施計画

本取組では、今後、①教育課程全体を通じた技術者倫理教育のさらなる組織的推進、②価値共有の度合いを測定・評価する方法の開発・運用、③課外活動も含め、キャンパス全体に技術者倫理上の価値(特に安全)を尊重する環境の整備等を行います。(図6参照)

図6

図6. 今後の実施計画

本取組のプラットホームである科技倫研では、計画実施のために種々の活動を行っています。例えば、学生に「価値共有」の機会をさらに提供する(Do)ために、e-ラーニングの導入を検討し教材を精査した結果、オランダで開発されたAgoraと呼ばれる教材が、「具体的な事例を通して倫理問題を体系的に分析・考察する能力を高めるためのツールとして非常に有効である」と判断しました。すでに、このe-ラーニング教材のシステムおよびコンテンツの日本語化を終えました。また、不足しがちな学生とのコミュニケーションを促進するために、小カードを用いて学生の生の声を聞き、これにコメントをつけ、Web等を使ってフィードバックする手法(小カード・システム)を開発しました。

さらに、測定手法(Check)については、ピッバーグ大学等と共同で、学生の倫理的判断能力を測定する手法(KIT Rubric)の開発を進めています。これらを基に、上記①~③を次のとおり具体化することを計画しています。

【平成19年度】

マイクロインサーションのグッドプラクティス、および専門領域特有のケース(事例)を収集し、より効果的に専門科目の中でマイクロインサーションを実施する方法を検討します。タスクフォースおよび科技倫研で収集されたケースは、次年度以降FDワークショップで利用することを目標に、研究所において整理・分類・データベース化を進めFD資料として冊子にします。同時に、こうした事例をAgoraに実装し、講義および学生の自学自習に使う準備をします。また、本学独自の測定手法であるKIT Rubricを含め、倫理教育のアウトカムズを「質的に」測定する方法(フォーカス・グループ・インタビューやポートフォリオ・アナリシス等)を検討します。課外では、技術者倫理版の学習サークル(仮称「技術者倫理考房」)を開設し、学生とともに、行動規範の検討と浸透を図ります。

【平成20年度】

これまで収集されたケースの分類を完成させます。また、教育的に優れたケースをAgoraに実装し、試行的に運用します。また、専門科目を担当する教員を対象に、マイクロインサーションおよびケース・メソッド手法に関するFDワークショップを開催します。また、マイクロインサーションを実践する教員を支援するシステムを構築します。加えて、前年度検討した測定・評価方法を実際に試行します。その結果を分析したうえで、技術者倫理教育プログラムの改善の手がかりにすると同時に、測定・評価方法自体の有効性・問題点を検討します。平成21年3月には、本取組そのものを中間評価するために、国際シンポジウムを開催します。課外では、技術者倫理考房活動を継続するとともに、Ethics Bowl(倫理問題に対する解決案を競うコンテスト)の開催を準備します。また、倫理的環境をさらに整備するために、ホームページと技術者倫理パンフレットの作成を始めます。

【平成21年度】

これまでの成果を基に、FDワークショップを定期的に実施し、前年度構築した支援システムを運用します。これにより、専門科目を担当する教員が、講義の中に倫理問題を導入することが進み、その結果、専門課程においても倫理教育がさらに広がります。またAgoraを運用することで、ハイブリッド型のe-ラーニングを実現するだけでなく、学生が技術者倫理問題を自分で考える機会をより多く提供できます。さらに、前年度の検討を基に、技術者倫理教育プログラムの測定・評価を実施します。前年度同様の分析を行うと同時に、将来、入学前から卒業後までの通時的な測定・評価を行う方法についても検討します。課外では、前年度に準備検討したEthics Bowlを実際に開催します。また、課外活動用の技術者倫理パンフレットを作成し、学生を中心に配布します。

このように、平成19年度から21年度にかけて、教育課程全体を通じた倫理教育を推進するための体制を確立させるとともに、課外活動においても学生が技術者としての自覚を持ち、価値共有を進めるための環境を整えます。すなわち、学生が、自己実現を目指して、技術者としてのアイデンティティを確立し、価値の共有を深め、その価値に基づいた行動を設計できる能力を育てる「新教養教育」を推進するのです。

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