コラム KAZU'S VIEW

2011年01月

6回目のうさぎ年を迎えた新春に思うこと

昨年来、自分の還暦(カンレキ)について思い巡らす機会が多くなった。子供の頃に、自分の生まれ年が「兎」であることに一種のコンプレックスを感じ、親に生まれ年を「寅年」に変えて欲しいなどと頼んでいた記憶があるが、何時頃からか、そのようなコンプレックスは消えてしまった。還暦とは、数え年の61歳で生まれた年の干支(エト)に戻るので、「暦が還(かえ)った」という意味で「還暦」といい、歳をとる正月には(個人ごとの誕生日ではなかったようだ)、公私ともに正式に隠居して長寿の祝いをしたことの習わしが東洋にはあったらしい。この年齢に達すると親族などが赤い頭巾(ズキン)やちゃんちゃんこを贈る風習は、もう一度赤ちゃんに戻って「生まれ直す」という意味合いをこめていることに由来する。現在は、満60歳の誕生日や60周年に還暦の祝いをすることが多い。2周(120年)した場合は大還暦と言うらしい。干支(エト)というと、十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が思い浮かぶが、何故60なのか?その理由は、干支は十干(ジッカン)と十二支(ジュウニシ)を組み合わせた60を周期とする数詞、すなわち60進数という数の世界から来ている。つまり、十干十二支(ジッカンジュウニシ)とうい世界で、十干とは甲(コウ)・乙(オツ)・丙(ヘイ)・丁(テイ)・戊(ボツ)・己(キ)・庚(コウ)・辛(シン)・壬(ジン)・癸(キ)の10種類である。この組合せで、十干の最初の「甲」と十二支の最初の「子」の組合せの甲子(キノエネ、コウシ、カッシ)からから始まり、乙丑、丙寅・・・癸酉、甲戌、乙亥というように進んで第60番目が癸亥(ミズノトイ、キガイ)となり、第61番目は再び甲子に還って行く。私の生まれ年は昭和26年(1951年)のうさぎ年であるが兎年は丁卯、己卯、辛卯、癸卯、乙卯の5種類があるが、その中で1951年は辛卯(カノトウ、シンボウ)の年に当たる。 動物の兎というと、「因幡(イナバ)の白兎」、「兎と亀」、「かちかち山」、「月で餅をつく(仏教説話)」などがイメージとして浮かぶ。また、多産で繁殖しやすく、足が速くて躍動感があるため、西洋では豊穣や生命力のシンボルとされ、イースターバニー(幸運のお守り)やバニーガールも、ウサギの生殖能力が高いことに由来しているらしい。また、ことわざの中に出てくる「兎の登り坂(兎は前足が短くて坂を登るのが巧みであることから、地の利を得て得意の力を発揮すること)」、「兎の耳(人の知らない事件や噂などを よく聞き出してくる地獄耳)」、「兎の糞(長続きしないこと。物事が切れてしまい、思うようにはかどらないこと)」など善きにつけ、悪しきにつけ多彩な面を持った動物である。 還暦の赤い頭巾(ズキン)やちゃんちゃんこは、もう一度赤ちゃんに戻って「生まれ直す」という意味合いがあるとされるが、人生60年で生まれ直すとはどのようなことか。2010年の日本人女性の平均寿命は86.39歳(1951年の平均寿命64.90歳から21.5歳伸びた)で男性は79.64歳(1951年の60.80歳から18.8歳伸びた)である。従って、平均として後20年の人生が残っていることになる。つまり、第二の成人式に向かっての起点が還暦となる。60才からの人間的成長は身体的側面と精神的側面の2側面から見ると、サーチュインやサーツーなどの長寿関連遺伝子の研究により身体的側面は今後更に長寿化が期待できるかもしれないが、現状では精神的側面での成長を考えることが現実的であろう。私は日頃、この身体と精神の2面を「行動(身体をどう動かすか)」と「感動(心をどう動かすか)」の振り子としてとらえようとしている。このコラムを書く時も1ヶ月間で最も心の動いた出来事や事項を書き連ねることで自分の心の動きを見ている。その記録を見ると自分の心の振幅が減衰して来ているように思われる。テレビドラマやスポーツニュース、はやり歌の歌詞などにすぐ涙するが、その感動は余り持続しない小さな振幅に止まり、短いサイクルで繰り返している場面の記録の多いことに戸惑いを感じ、驚く。多感な子供の頃の心に回帰しようとして、中途半端な見識とやらの大人顔した常識がその回帰に歯止めを掛けているのか。行動と感動の振り子を益々大きく振ることのできる人間を目指すことが第二の成人式へと向かう意味となるのであろうか。

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