コラム KAZU'S VIEW

2010年12月

2回目のマレーシア訪問で感じたこと

12月4日〜11日に渡りMalaysiaのMelakaに第11回APIEMSと第14回IFPR-APR Meeting出席のために出かけた。マレーシアは今回2回目で、最初は2000年の8月にKuala Lumpulを中心に、研究調査のために、UMW Toyota Motor Sdn.Bhd, Assembly Services Sdn.Bhd., T&K Autoparts Sdn., Perushan Otomobil Nasional Bhd. (PROTON)社等を訪問した時であった。その時の強烈な印象が帰国の際の出来事であった。帰国便は今回同様、深夜12時近い便であった。余り乗客もなく、出国検査の行列もほとんどなかった。その出国検査での出来事だった。私の2人前の人から急に別々の窓口でチェックが始まった。私は指示されるままに、一番端の窓口に誘導された。パスポートと搭乗券を差し出し間もなく、事務官が「お土産は持っているか?」という日本語での質問であった。日本へのお土産はここを入って免税店で買うつもりだ、と答えると、彼は笑いながら、「私に対するお土産はないか?」という説明であったが、しばらく彼の言葉の意味がわからなかった。しかし、彼が私に「袖の下」を要求していることを察した。色々な国を訪ねて来たが、国の玄関口の公務員がこのような要求をする経験は初めてであった。その場は、ポケットにあったコインを出し、切り抜けたが、なんとも腹立たしいやら、悲しいやら複雑な思いをした。そんな印象を私はマレーシアに対して持っていた。 今回訪れたMelakaはKuala Lumpulから南東方向に車で2時間弱離れたところで、マラッカ海峡に面した町であった。シンガポールとKuala Lumpulとのほぼ中間地点である。インドネシアのスマトラ島より渡来したパメスワラ初代国王により1396年に建国されたマラッカ王朝の首都で、マレーシアで最初に興された街とされている。16世紀の大航海時代以降ポルトガル、オランダ、イギリスに植民地支配を受け、第二次世界大戦中には日本に占領された歴史を持っている。446年間の植民地支配から1957年8月31日にマラヤ連邦(現在のマレーシア)として独立し、今日に至っている。初代総理大臣トゥンク・アブドール・ラーマン首相が独立宣言した地がこのマラッカだと聞いている。また、マラッカの歴史的街並みはユネスコの世界遺産にも登録されている。残念ながら、会議中は一度も市内に出る時間がとれず、ホテル内でエアコンの効いた状態で、少々寒さを感じる日々を送った。会議のバンケットでJapan International Cooperation Agency(JICA独立行政法人 国際協力機構)の所長と同席となり話す機会があった。JICAは開発途上地域等の経済及び社会の開発若しくは復興又は経済の安定に寄与することを通じて、国際協力の促進並びに我が国及び国際経済社会の健全な発展に資することを目的としている。緒方貞子氏が理事長を務めている(http://www.jica.go.jp/about/jica/index.html)。そこで、JICAが現在進めているASEAN地域の大学院生の教育支援プログラムの話を聞いた。このプログラムでは教育プログラムの開発や留学生の経済支援を行っていると聞いた。その後に会議の発表会場や学会運営に当たっている学生の何人かと話した際に、このプログラムを利用している学生が多く、特に女子学生が多くいることに驚いた。また、その学生達が生き生きとしていることに幸せ感を持った。今回の会議(第14回IFPR-APR Meeting)には個人的な思いがあった。2000年のタイでの会議から務めていたIFPR-APR議長を次期議長に引き継ぐ会議であったことである。ちょうど2000年の会議はAsian Institute of Technology(AIT)が主催して開催された会議であった。AITも日本政府が支援して設立した大学院大学で、アジアの国々から多くの学生がここで学んでいた。その時はAITの学生相手に特別講義をしたが、その際の学生の顔はやはり生き生きしていたのを覚えている。彼らは自国を背負って学んでいるというような気概を感じさせた。10年前との違いは女子学生の肩肘張らない、屈託のない生き生き感であった。 帰路途中でKuala Lumpulに半日ほど滞在した。ここで初めて30℃以上の暑さを実感した。ツインタワーやオールドマーケットを回ったが、暑さと摩天楼の威圧感が息苦しさを感じさせた。早めに空港に入ったが、10年前の悪夢はなかったが、時間つぶしのためのアルコール飲料を探すのに苦労をしたが、今回のマレーシア訪問での印象は会議での女子学生達の生き生きした笑顔に象徴されるものであった。

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