コラム KAZU'S VIEW

2010年08月

FIFAワールドカップに見る日本

7月11日に南アフリカ共和国で開催された第19回FIFAワールドカップが終わった。初戦で敗れたスペインが優勝した。史上初のアフリカ大陸開催となったこの大会は、開催地の持ち回りシステムやこれまでの多くのジンクスが破られたりする事態が次々と起こった。例えば、欧州以外で開催される大会は南米勢が優勝し、欧州勢は優勝できない、グループリーグ初戦に負けたチームは優勝できない、などである。アジア勢の日本と韓国はベスト8進出はできなかった。全体として守りが強みを発揮した試合が多かった。優勝したスペインは全試合通じて2失点で、大会優勝チームとしては史上最少タイ記録であった。一方、全試合を通じて上げた得点は8点で、大会優勝チームとしては史上最少得点であった。また、この大会を通じて、ブブゼラという楽器や予言ダコの「パウル」は一躍有名になった。そんな中で、日本チームの新たなヒーローの誕生とその活躍は日本人を大いに感動させ、暑い夏の日々を、より一層熱いものとした。その中に無回転フリーキックの本田圭佑選手と「岡ちゃん」こと、岡田武史監督を挙げることができよう。 本田選手は金沢市にある星稜高校出身である。野球の松井秀喜選手(ゴジラ)に次ぐ北陸スポーツ界のヒーローであろう。彼の風貌は茶髪が特徴的である。かつての中田英寿元選手のイメージに近いと思う。彼は私の中学の後輩に当たり、彼の生家はその中学のすぐ裏手にある。2人の共通点として、一見、非常識的風貌や行動を見せるが、その内面的強さと計算された行動に非凡さを感じる。新しい日本人モデルなのかも知れない。また、蒼きイレブンを率いた岡田監督はその監督経歴を見ると宿命性を感じる。つまり、1997年フランスW杯最終予選でアジア予選での成績不調から前任監督更迭を受けて代理監督として指名され、予選を突破し、日本代表初の本選出場を果たした。そして、2008年にイビチャ・オシム監督の病気により後継監督となったが、ワールドカップ3戦全敗の監督が再度同じ国の代表監督となるのは史上初。2009年6月のW杯南アフリカ大会アジア最終予選のウズベキスタン戦に勝利し、日本代表を4大会連続4度目の本大会出場に導いた。しかし、その後の成績不振でサポーターからの解任要求、支持率16%の低迷など、日本国内からの不信感と低評価の罵声を背にワールドカップ本戦に臨んだ。しかし、グループリーグを2勝1敗、勝点6とし、国外開催大会で初めてのワールドカップ決勝トーナメント進出を決め、その罵声をねじ伏せた。日本サッカー界史上初のベスト8進出をかけたパラグアイ代表との決勝トーナメント戦はPK戦に突入し、3-5で敗北した。この様子を見た日本人はその試合のプレー1つ1つに歓喜と落胆を何度となく繰り返し、睡眠不足の中で日本人が気持ちの上で1つになるという貴重な機会を持つことができたと思う。 サッカーは試合の流れに応じて、攻撃と守備を戦略的に切り替えてゲームが進められる。従って、連続的に変わる攻守の切替に応じてプレーヤーは個々の判断と行動により展開を進める場面が多く、野球のように攻守の切替時に監督が命令指示してプレーを進める事が出来ない。言うなれば、中央制御型ゲームではなく、分散制御型ゲームに属する。分散制御型の場合は、独断専行か保守・閉塞型に陥るリスクが高くなるため、情報共有と信頼形成による協調制御が必要になる。私が扱っている生産管理の世界には多段階発注方式(複数の工場や生産工程を対象に生産量や在庫量を決める方法)という分野がある。この発注方式には押し出し方式と引っ張り方式の2つがあるとされ、前者は中央制御型であり、アメリカを中心に発展した。後者は分散制御型でありトヨタ自動車のカンバン方式に代表される方式である。この分野との共通性から、今回の日本代表チームが我々に教えてくれたことは次のようなことではないか。大会全体の試合運びが、守りを主体として勝負が決まるという流れの中で、大会直前まで敗戦を続けた経験からメンバー全員が、勝利に固執し、その目標達成に自分のやるべきこと(改善活動)を進めることと、同一目標を共有することを通じた信頼形成が成果を生むということ。パラグアイ代表との決勝トーナメント戦のPK戦でゴールが外れた時のシーンは印象的であり、そのことを象徴したもののように思う。今後のFIFAワールドカップにこのゲームの流れが形成されることを期待したい。

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