コラム KAZU'S VIEW

2010年07月

Bilbao(Spain)に見る芸術都市の価値

6月5日から9日まで、スペインのビルバオにISPIM2010に出席のため、出かけた。今回はFellowship Awardの授賞式にも参加するため、初めて家内同伴での学会参加であった。家内と旅行に出ると、どちらか一方が必ず出先で具合が悪くなるというジンクスがあった。新婚早々の1982年にシンガポールでの学会に出た帰路に台湾で落ち合うことになっていたが、シンガポールを出る時から私が体調を崩し、台湾に入って大学同窓生の開催してくれた歓迎会で紹興酒の乾杯をして、体調を更に悪化させ、翌日からは寝込んでしまった。この時、海外で今までに1度だけ、医者にかかった。しかし、この時のお医者さんが東京医科歯科大を卒業した方であり、かつて私の義理の叔父に当たる人を何度も診断したこともあるという話を聞いて、精神的にも大変助かった思い出があった。それから数十年が経過したが、その不安が再び膨らんできた。成田からの出発であったが、離陸する際に一度、飛び上がった飛行機が再び着陸した。エンジントラブルとのことだった。1時間ほど遅れって成田を発ち、シャルル・ドゴール空港に着いたが、そこから乗り換えのBilbao行きの飛行機は既に出発してしまっていた。また、その出発ターミナルは成田着のターミナルから最も遠いゲートに位置していた。結局、空港近くのホテルに1泊して、翌日Bilbaoに入った。そのお陰で、シャルル・ドゴール空港内のバス路線やターミナルの位置関係などはかなり学習することができた。 Bilbaoという町は、バスク地方に位置し、大西洋に面したネルビオン川河畔の町で、急峻な丘に囲まれている。ネルビヨン川には1893年に作られ、現在、世界遺産となっているビスカヤ橋が架かっている。その後、この町は港湾都市として、また鉄鋼の町としてかつては栄えたところだ。その経済的な発展は金融業の発展を促し、スペイン第2の銀行ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行の前身銀行のうちの二つ、ビルバオ銀行とビスカヤ銀行が生まれた町でもある。また、巡礼路の途中に位置していたことか、サンティアゴ教会が建設された。現在のビルバオは、従来の工業から観光とサービス業に転換し、1995年に地下鉄、2002年に市電が開業し、1997年にグッゲンハイム美術館が開館した。この美術館にはジョアン・ミロ、アンディー・ウォーホル、ルイーズ・ブルジョワなどの現代絵画を中心に作品展示されている。この美術館は金沢21世紀美術館のモデルにもなっている。 到着当日の夜に、ISPIM恒例のナイトウォーキングツアーがあり、ビルバオの町をガイド付で徒歩観光した。ナイトウォーキングといっても、時間帯は午後8時過ぎでも大変明るいので、午後の散歩のようなものであった。サンティアゴ教会、ビルバオ銀行の発祥地、16世紀の建物などなど。その中で最も印象深かったのはビルバオ駅の天井の壁にあったステンドグラスの大きな絵画であった。ビルバオの地形と歴史が色鮮やかに描かれていた。このまちを囲む7つの丘、家畜の放牧、鉄鉱石鉱山の様子など時間と空間を圧縮した構図に色彩のスペクトルの融合が何とも見事であった。2日目の夜にGala Dinnerがあり、その場でFellowship Awardの授賞式があった。会場はグッゲンハイム美術館であった。翌日、帰国予定であったので、出発日の午前中に見学に来る予定にしていただけに、大変ラッキーであった。当日は休館日であったが、今回の学会スポンサーの1つがビルバオ銀行であったため、その威光もあり、休館日のグッゲンハイム美術館全館を貸切で、Dinnerを楽しむことができ、かつ、Fellowship Awardの授賞式という思い出作りができた幸せ感は言葉に言い表し難いものであった。その受賞式の記念品はエルヴィス・プレスリーのLove Me Tenderのレコ-ドをデザインした写真とレコード盤を1メータ四方のパネルに納めたものであった。これは私が、Karaoke King of ISPIMと呼ばれ、この学会で恒例として行われるカラオケ大会で私が必ず歌う曲名であり、これを学会スタッフが気を回してデザインしてくれたものと感謝している。このパネルは私のスーツケースにぎりぎり一杯で収納できたので、スーツケースに入れて持ち帰ったが、パネルのガラスが見事に割れた状態で自宅に到着した。 ビルバオを発つ日の出発時間は夕刻であったので、その日は1日、妻と町の散歩と見学をした。ネルビオン川沿いにグッゲンハイム美術館まで歩く川べりには1メートル四方以上の大きな写真パネルが並んでいた。写真は黒人女性をテーマにしたもののようであったが、とても美しく、和やかな印象をうけた。美術館に近づくと、その建物の船のような形が異様に視線を捉えた。その横をすり抜けると50メートル位の高さの階段があり、その頂上からネルビオン川にかかった橋を渡ることができるようになっていた。実は、この橋もグッゲンハイム美術館のデザインの一部だと、後で聞かされた。町の中はいたるところ工事が行われていた。その工事の1つ1つに、町全体を1つの芸術作品として作っているという一貫した考え方があるように映った。鉄や織物などの物的価値創りから、観光や芸術などの心的価値創造へと町全体のパラダイムシフトが町創りを通して実現するという方法は今後の日本のモノ創りの参考になるのではないか。

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