コラム KAZU'S VIEW
2004年04月
ナショナルギャップからジェネレーションギャプヘ
最近のニュースで日本の家庭に起きている社会的問題を見聞きし、そのニュース性が無くなりつつあるあることに危機感を感じる。親殺し、子殺しのニュースに象徴される。ここ数百年、日本社会で「家」は国「家」を象徴に日本的文化の拠り所あった。日本的「家」は崩壊しているのだろうか。
1990年に当時の西ドイツ、Hagenという町で"Modern Production Concept"をテーマにシンポジュウムが開催された。2年後にEC統合(当時はまだECと言い、現在のEUとうい用語は一般的でなかった)を控え、ヨーロッパではITを中心とした先端技術のアメリカ、生産性技術の日本に対し、どの様な世界戦略を構築するかを固めつつあった時節であった。1984年-1993年の10年間で当時2500億円(EC50%,企業50%)の研究資金で進められたESPRIT(Europian Strategic Programme for Research and Development in Information Technology)プロジェクトの内容に見ることが出来る。その当時の現地の風刺漫画に日本企業が桃太郎伝説の桃太郎にふんし、申、犬、雉を連れ、鬼ヶ島の戦利品としてカラーテレビ、ビデオなどの日本製家電品を荷車に積んでいたのが印象的であった。私の報告テーマは部品標準化が在庫量削減と工場操業度安定化に及ぼす影響であった。質疑の際に、ヨーロッパの参加者から、当時の日本の製造業の生産性の高さは我々の認めるところであるが、その主な原因は、日本の製造業を支える世代が勤勉で、質素な生活スタイルを大切に思う人達が中心であるからだろう。しかし、その世代の子供や孫の世代は彼らと同じ価値観とライフスタイルは維持出来るのか?という質問が出た。多分、維持出来るだろうとその時は答えた。会議の帰りにStuttgartの友人を訪ね、ベンツの小型車エンジン工場の見学に連れて行ってもらった。見学には60代の取締役と30代のエンジニアが付いてくれた。見学後、昼食を取りながら昨年東西統合をしたドイツの話題になった。60代の取締役は戦前一緒だったベンツの東ドイツにあった工場の人々と再び働けて大変嬉しいと言っていた。しかし、30代のエンジニアは全く違う意見であった。最近彼はStuttgartの郊外に住居を移したとのこと。その理由は、最近Stuttgart の町に東ドイツから多くの労働者が移り住むようになり、町の雰囲気が変わったためだとのこと。彼が生まれた時には既に東ドイツは西ドイツとは別の国であった
東西ドイツの統合は情報化社会のインパクトの典型例として引き合いに出される。ベルリンの壁が情報コントロールの制御盤の役割を果たしていた。しかし、ITはそれを無機能化した。壁1つ隣の生活が自分たちと如何に違うかをリアルな情報で把握出来る。その矛盾した社会に対する不満がベルリンの壁を破壊した要因の1つであろう。このことは、我々の社会で起きている核家族化、個人化の中で従来外部の情報はその時代のリーダーやエリートの一部の人間が、日本的、地域的村社会の人々にある種のフィルターを掛け、スクリーニングした情報を時間をかけて伝達してきた時代を通じて、国別、地域別の価値観である文化が形成され、伝承さて来た。しかし、情報化社会の下では、世界中の隅々の出来事や情報が瞬時に、個人に直接届くようになり、生まれた時からそれが当たり前になっている環境下で成長する人々か社会を構成する。その時、ナショナルギャップ以上にジェネレーションギャップが大きくなるのであろう。携帯電話で家族が家の中で会話するという漫画的な図がリアルになって来ている。この時に、我々日本人は情報社会における日本的価値を世代を越えて見定める努力が必要ではないか。14年前の会議の自分の回答の重みを改めて認識している。