コラム KAZU'S VIEW

2010年02月

女人(ヨインチョナ)とダビンチコードに見る時代トレンド

そのタイトルに関心を持ち、「女人天下」という韓国ドラマを見始めた。16世紀朝鮮王朝時代の中宗王の時代が舞台となっている。中宗王といえばコラムで取り上げたことのある「チャングム(大長今)」と同時代の人物である。その主人公はチョン・ナンジョンという、やはり実在の人物で、韓国史上"三大悪女"の1人とされる。チャングムとは対称的なキャラクターである。ちなみに韓国の三大悪(妖)女とは他に、チャン・ノスク(張緑樹)とチャン・ヒビン(張禧嬪)という方々らしい。ナンジョンは両班(ヤンバン=貴族階級)の娘でありながら、妾の娘とさげすまれる生活から抜け出すため、妓生(キーセン=芸妓)となり、その美貌と知恵で王妃の兄に見初められ、やがては国を動かす巨大な権力を掴んでいくが、その後悲惨な結末を迎えた女性である。
この時代の朝廷は、中宗即位に功績があったグループの「旧勲派」と、儒教を精神的基盤として持つ新進官僚集団の「士林派」とが対立した時代背景を持つ。そもそも、中宗王の先帝は「朝鮮のネロ」とも言うべき燕山君であり、粛清に次ぐ粛清や、絶えることのないクーデターなど、急変する政局により世の上下を問わぬ一大改革期であり、朝鮮王朝開闢以来の大転換期とも言われるこの時代は、政治の領域に留まることなく、庶民の生活風俗、宗教、世界観までが一変するほど変化に満ち、社会的エネルギーも最高潮に達していたようである。なにやら、現在の我が国の状況にも同様の現象が見いだせるように思うが、錯覚であろうか?このドラマに描かれる中宗王は、その即位の経緯から燕山君の後の政変で自らの意思とは関わらず即位させられたために自信が無く、自分の正室さえ2度も廃位させられるような軟弱王として、信頼できる側近の無いまま孤独な人生を送る。また、彼を取り巻く中殿(正室)や側室達の生き残り戦略にその政治を左右させられながら統治を行うところに、女傑文定(ムンジョン)王后が現れ、その側近としてチョン・ナンジョンなる女策士が登場し、国を動かしていく。この時代背景に現在の日本の男性を中宗に重ねて見ると、何とも興味がわいて来る。男世界の限界、停滞に取って変わる女性の存在は日本海を隔てた我が日本においても同じような歴史を見いだすことができることを先月の1月のコラムで紹介した。
男女雇用機会均等が叫ばれてから久しい今日の日本で、男と女の社会的役割は時代のトレンドとして男性世界と女性世界のスイング(振り子)が女性への振り子として傾いているのが現在なのではないか。ダビンチコードという映画でも同様のストーリーがあった。イエスの後継者は男性のペテロではなく、イエスの妻(マグダラのマリア)が正当な後継者であることを男性集団である修道会が作為的に変えたというメッセージになっている・・・。洋の東西を問わず、現在は女性がリーダーシップを持つことが順当な時期として動いているのではないか。悪(妖)女チョン・ナンジョンが「下賤の出」とさげすまれて生き、キーセンから王后の側近となって昇殿し政争に加わり、そして事実上の女帝政権を確立し、遂に朝鮮の天下を動かしてゆく「女人天下」というドラマは、明治維新前期の吉田松陰の「草莽崛起(ソウモウクッキ)2004年4月コラム」を男女間のスイングの場に拡張することの必要性を示唆しているのではないか。

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