コラム KAZU'S VIEW
2009年11月
今、改めて考えるべき「一身独立し」の意味
12月23日は今上天皇の誕生日。しかし、この日は1948年に日本のA級戦犯7名が13階段を上った日でもある。これは猪瀬直樹氏の著書「ジミーの誕生日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」」で初めて知った。ジミーとは今上天皇が皇太子の時、英語教師が皇太子につけたニックネームらしい。猪瀬氏によると、これは戦後日本が天皇誕生日を迎えるたびに大東亜戦争を思い出させる意図を持つ暗号としてのアメリカのメッセージであるという。しかし、昭和天皇の長寿がこの思惑を打ち砕いたと言っている。
ケネス・コールグローブ教授。天皇を研究対象としている外国人の1人。GHQ憲法問題担当政治顧問として1946(昭和21)年3月に来日し、日本人が憲法草案に好印象を持っていることを知り、帰国後の同年7月29日、トルーマン大統領宛てに書簡を送った。その中で彼は、マッカーサーの憲法草案承認に不満を表明していた極東委員会によって政策変更が行われることは、日本国民を混乱させるとしている(トルーマン宛書簡 1946年7月29日http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/124shoshi.htmlより引用)。これに関連し、2000年の雑誌「世界」に米カリフォルニア大学サンディエゴ校タカシ・フジタニ教授が、「新史料発見 ライシャワー元米国大使の傀儡(カイライ)天皇制構想」と題して、エドウィン・O・ライシャワー教授(米ハーバード大にその名前を冠した研究所があり日本研究の世界的中心機関の1つである)が、真珠湾攻撃後、1年足らずの1942年9月14日付覚書において、日米戦争勝利後のヒロヒト(昭和天皇)を中心とした傀儡(カイライ)政権を米陸軍省次官らに提言していたことを指摘している(http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.htmlより引用)。象徴天皇制や戦争放棄をうたった日本国憲法の改憲論がでてきている時に世界が注目する日本国憲法に込められた様々な思いや思惑を考えてみる事も日本の今後を論ずる上で必要ではないか。
日本の国際戦略は聖徳太子や北条時宗の蒙古襲来、豊臣秀吉の朝鮮出兵そして明治政府の国際戦略に言及する必要があろうが、ここでは明治以降の近代史に着目する。ちょうど、NHKがプロジェクトJapan(http://www.nhk.or.jp/japan/about/index.html)という企画を今年から3年間に渡り展開しているが、その中の特別ドラマとして3年をかけて製作、放映する「坂の上の雲」の第1部が始まった。これは司馬遼太郎氏の同名小説のドラマ化である。秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規を主人公にした近代日本の創造者達の歴史小説である。そのドラマの中で、後の日露戦争を勝利へと導く秋山兄弟の子供時代の会話に出てくる「一身独立して一国独立す。(福沢諭吉の学問のススメの一節)」の言葉は正に今の日本に必要な言葉のような気がして印象に残った。近代日本がこれまで国際戦略として形成してきた同盟関係は、日英同盟(1902〜23)、日独伊三国同盟(1940〜45)、日米同盟(1960から今日まで)の3つである。日英同盟はロシアを仮想敵国とし、日独伊三国同盟はアメリカを仮想敵国としていたのであろう。近代国家としての初めての敗戦経験を引きずりながら日米同盟は対共産主義、すなわちソ連を仮想敵国としていたのであった。今日、物的価値と経済価値を基礎とする共産主義と資本主義の競争時代は終焉したが、残った資本主義もほころびが目立ち始めている。鎖国から開国へと移行してから150年を経過する中で、前半は戦争に明け暮れていた。特定の国との物的、経済的利害関係を解消するために特定の国との連携、すなわち同盟関係に基づき仮想敵国に対し軍事的パワーバランスの上で発展してきた日本は1946年11月3日に公布された日本国憲法(施行は1947年5月3日)で象徴天皇制と戦争放棄を謳うことで新たな国体に基づく国際参加を始めた。それから60年余りが過ぎてきている。明治維新という革命に次ぎ、民意による政権交代を行った我々日本人は日本という国体をどのように創造し、国際戦略を考え、実践して行くのか。それは、多分、特定の物的・経済的利害関係の解消ではなく環境問題、飢餓問題や多様な価値観の衝突問題といった敵を対象に軍事力や経済力を用いない知力と心的力によるパワーバランスに基づく国際秩序の創成を目指した国際戦略を考える時期を迎えているのでないか。そのためのよりどころとして日本国憲法を改めて国民すべてが見直して見ることが「一身独立して一国独立する。」に立ち返ることではないないだろうか。誰に、や何に頼るか、誰のせいかを考えるのではなく、自分が何を目指し、何をしたいかの「なりたい姿」、「ありたい姿」を描きひたすら努力、実践、学習する人間の集まりとしての国づくり。その先に「雲」は見えてくるのではないかだろうか。