コラム KAZU'S VIEW

2009年08月

上海は40年前の日本の勢いと先端技術の混在する不思議な空間だった

8月2日から6日まで上海のNew World Mayfair Hotelで第20回ICPRが開催された。当初、国際経済危機と豚インフルエンザのパンデミックで開催が危ぶまれたが、何とか開催にこぎ着けた。上海訪問は1992年10月以来になる。Shanghai Pudong 国際空港からタクシーを使ってホテルまで移動しながら街の様子を見ていたが、20年ぶりの上海は来年の万博を控え、高速道路工事、高層建造物の建設ラッシュで騒然としていた。1960年代の東京オリンピック開催をひかえた高度経済成長期の東京を彷彿とさせるものであった。見上げる摩天楼からはかつての日本租界地や豫園(Yu Yuan Garden)などの懐かしい風景のイメージは連想できなかった。豚インフルエンザのパンデミックの下で出かけた最初の海外出張だったので極力外出は避け、ホテル内に活動範囲を絞っていたのでホテルと空港間の移動のみが唯一の上海観光の機会となった。帰りはホテルから空港まで地下鉄とリニアモータカーを使った。この空港は1999年にできた新しい空港であるが、前回の上海訪問時はShanghai Hongqiao 空港を利用した。この空港は2002年から国内線用になったようだが、新しいPudong 空港より上海中心地に近く、羽田からの便はこの空港に入っていて便利らしい。リニアモーターカーは日本では実験線が山梨県側の富士山近くを走っているが、生まれ故郷で山梨の地では無く上海で、しかも営業線として初めて乗る経験を得た。10分余りの短い時間ではあったが、鉄道技術の最先端である時速430Kmの陸上移動体感は今回の上海訪問で最も印象深いものであった。
2000年8月と2002年5月に北京を訪れた。いずれもITとマネジメントをテーマにした国際会議であった。どちらの会議であったかは明確ではないが、基調講演を当時国家主席をしていた江沢民(こうたくみん、チアン・ツォーミン)が行った。なぜITをテーマにした技術関連の会議に国家主席が来るのか、最初疑問に思っていたが彼は講演の中で自分が上海交通大学で電子工学を専攻したエンジニアであることを指導教官とのやり取りのエピソードをユーモアを交えながら語っていた。また、政治家として中国では多くの技術畑出身者が活躍していることが今の中国の政治の特長であることも力説していた。その会議期間中に日本の学術会議に当たる会議が開催され、懇親会があった。たまたま、会議を運営していた私の友人から誘いを受け、出席した席で、今中国が国家を上げて最も重点をおいている科学技術分野についての議論があった。そこでは脳科学、ITそして社会システムの3分野が上がっていた。なぜ、社会システムか?という疑問を持った。中国の政治経済システムは政治体制として共産党一党支配の下での共産主義である一方、競争市場を基本とする自由経済体制という人類史上経験のない実験を行っている。このような国家的実験を進めるためには社会システムのための科学技術を創出していく必要がある、と彼らは認識していたのかもしれない。
20年間の上海の変化を10年前の北京での記憶と結び付けたとき、今の日本が物的、経済的価値の充足の上に心の貧困を抱える状態に対し、かつての日本の勢いを象徴する活気と最先端技術、さらに経済成長という心的、物的、経済的な3つの価値創造に国際的リーダシップ力を形成してきた中国の背景には技術系政治家と社会システムの科学技術があるという仮説は的外れであろうか。

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