コラム KAZU'S VIEW

2004年03月

イスラエル人と中国人について

最近のニュースでイラクを話題にしたものを多く見聞きする。中近東はアジアとヨーロッパを結ぶ重要拠点であることは世界史の重要な事件で様々に関わり合う事を見ても判るが、その歴史の解明には多くの課題が残されている。すなわち判り難い国々と言うことになろうか。しかし、極東の地、日本としてはシルクロードを通じ、多くの文化、文明を伝えてくれた恩義ある国でもある。

12月のコラムで触れたイスラエルは中近東の国の1つである。その時の話題で彼らの安全観は個人主義に立脚していることを指摘した。ところで、1991年にThe 11th International Conference on Production Research(ICPR)が合肥(Hefei)で開催された折、初めて中国を訪問した。合肥という町は揚子江の近くにあるが、その年の4月ころ、揚子江上流が洪水に見舞われた。その3ヶ月後にはその洪水は下流に洪水をもたらすことは予見された。会議は8月であったが、上海から合肥まで車で行った。その道々で洪水の爪痕を多数見受けた。案内の中国人に3カ月も前に洪水が予見されたのだから、その対策をしたのではないか?と尋ねたところ、そのようなことはしていない。自然の力に人間の力など及びもしない。だから、そのような対策を講じても意味がなかろう、と言う意味の答えが返ってきた。合肥からの帰路、上海に立ち寄った。たまたま、同じホテルにアメリカの友人と泊まり合わせ、彼の提案でタクシーを1日借り切り、観光をした。ホテルに戻り夕飯を食べながら、その日の思い出を話していた中で、ダウンタウンについての話題になった。彼は、今日行った上海のダウンタウンは大変興味深かったということだった。その理由は、ニューヨークのダウンタウンと比べて見た目は変わらないが「怖さ」を感じなかったと言っていた。1983年にニューヨークのダウンタウンに行ったが、彼の言っている意味が判らなかった。92年に再び上海を訪れる機会があった。その訪問は第11回ICPRの組織委員長を務めた方の招待によるものだったので、彼にお土産を持って行こうと考え、どんな土産が良いか聞いてみた。お酒の好きな方だったので、こちらから、ナポレオンでも持って行こうかと尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。私はお酒は好きだが、ナポレオンという酒は知らないし、飲んだこともないので美味しいかどうか判らない。自分は好きな中国の酒を飲んでいるので、ただ高いと言うだけの酒は要らないといことだった。そのことから、先のアメリカの友人の言った言葉が判ったような気がした。上海のダウンタウンの感じは、見た目の物的、経済的価値ではなく心の価値という視点で価値観の違いが存在し、そこには限られた物やお金の配分競争というゼロサムゲームでない非ゼロサムゲームが存在することを認識したような気がした。

「フセインのミサイルなど当たるはずがない。」と言いながら歩くイスラエルの婦人、エルサレムの壁1つを挟んで全く異なる精神空間を持ち合わせた人々が共存する世界の人々。そして、飛行機で3時間程度の距離に有りながら極東の国日本とその価値構造としての距離が遠い中国の人々はいずれも日本人の心的価値形成において大きな存在であることは共通している。20世紀は物と経済的な価値創造に大きな貢献をした世紀であった。その結果、人類は新たに心の価値創造という課題を背負うことになった。環境問題、福祉の問題、文化的競争・宗教的紛争問題はその具体的な初期段階の課題に過ぎないのではないか。

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