コラム KAZU'S VIEW

2008年10月

和菓子の匠、山口富蔵が目指す「プロを楽しむの心とは?

京都の和菓子の匠。遊びが大切。「プロを楽しむ」の心がプロの所以。なかなか味のある言葉である。菓子職人の言わせる言葉として重みがある。山口富蔵氏は1937年(昭和12年)生まれで、京菓子の名店、亀屋末富(単に末富という屋号が一般的である)の三代目である。末富は初代が、1893(明治26年)亀末から独立し、蒸菓子や干菓子を茶人や寺社を主要顧客としてつくっていたという。終戦直後に一般向けの日常の菓子として発案されたのが、末富の名物菓子となった野菜せんべい。和菓子と京野菜とを融合させたもの。その特長は日持ちの良さと玉子煎餅としてはその薄さが常識を越えている点にあると聞いている。大阪で開催された秋季学会の半日を使って、お店に行って見た。丁度、娘が京都に下宿していて通学している大学で富蔵氏が講師をしているといことで一緒に出かけた。生和菓子を目的で行ったが、店に行って初めて野菜せんべいの存在を知った。その包装容器は金属製の箱で飾り気の全くないシンプルなものだった。和菓子の柔らかく雅なイメージに対し、容器の金属的で無機質なデザインが何となく違和感と調和感の間の振り子を連想させるものだった。お店には数名の女性と男性1名がいたが、富蔵氏は見えなかった。山口富蔵という人物の存在を知ったのはあるテレビ番組を通じてであった。彼の創作和菓子は一期一会に無限の物語を作り出す創造的和菓子のようだ。野菜せんべいと生和菓子を娘と1つづつ買い求めた。和菓子は1個六百円弱の値段だった。
今年は源氏物語誕生千年に当たる年らしい。平安時代といえば漢字文化に日本的色づけになるひらがなやカタカナを生み出した女性クリエータが活躍した時代である。その代表格である清少納言や紫式部は日本の最初の女性社会進出の事例になろう。その紫式部の手によるとされる54帖からなる源氏物語は光源氏の52年の生涯とその次男(但し、実子ではない)薫大将の28才までの生涯を取り巻く様々な女性とのラブストーリーと政争を題材としている。その展開には因果応報の仏教的サイクルモデルが組み込まれている。自分の父親の妻との間に子どもを作るとともに自らの2番目の正室から同じ報いを受けるとい筋書きである。6世紀に聖徳太子が従前の八百万の神との融合を図って導入した仏教が五百年たった11世紀に源氏物語を通じて生活面での仏教観の展開が女性の手で行なわれたことに感銘を受ける。雅の世界に潜む、おどろおどろしい物語りの世界はあくまでも女性的ではないか。その世界を和菓子で表現することに富蔵氏は挑戦した。確か、光源氏が雪の日に女性と出会う場面を主題としていたように記憶する。正に、これから無限の未来が開かれようとする瞬間を雪や生け垣といったビジュアルなファーストインプレッションに着眼したところに男臭さを感じる。これが女性パテイシエだったらどのような表現をしただろうか、関心が残るところである。彼の菓子作りに対する哲学はお菓子を五感を通じて無限の創造空間を創出するための遊具と位置づけていることである。このことは氏の「菓子は美味しいとか綺麗だけじゃなく、もっと高度な遊び、情緒豊かに遊ぶ、遊具だ。」という言葉から推測される。日本人はいにしえより、移ろいゆく季節と心を通わせて、暮らしを営み、文化を育んできた、という伝統的日本人感を持つ一方で、上菓子400年の歴史の中で使われることのなかった素材の「さつまいも」を使った菓子作り行うという革新的一面を持ち合わせる。氏のもの作りへの取組み姿勢は「決して、云われた通り(顕在ニーズ)のものを作ることではない。使う人の心を推し量り、おそらく本人でさえハッキリとは気づいていない想い(潜在ニーズ)を引き出すような、遊び心・詩心に充ち満ちた御菓子を作り出すこと。」に現われている。これは正に顧客との共創・協働による新しい価値創造のためのもの作りでありOpen Innovationの実践ではなかろうか。
源氏物語が世に出てやがて、貴族社会の雅の文化が武士社会のわびさび文化へと推移する。そして武士社会から市民社会への流れは200年経とうとしている。この200年の間、産業革命、情報革命が我々を押し動かしてきた。物的、経済的な豊かさの中で心の貧しさが相対的に顕在化してきているような気がする。 「愉(たの)しむ」という心を豊かにする遊び心を増やすことを御菓子に求める姿は「季節を憩い、暮らしを遊び、愉しむ」もの作りが今の世界に求められており、それに答えられる民族の1つである源氏物語から千年続いてきた文化を継承する我々の使命ではないか、というメッセージが氏が目指す「プロを楽しむ」ではないだろうか。

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