コラム KAZU'S VIEW
2008年09月
いしかわ農業人材について思うこと-生活価値創造を目指す農業市民のための学習モデル-
今年の夏はオリンピックを含めて、ひときは暑い夏であったような気がした。その夏も何時しか秋の暦に移り変わっている。この春から県の農業人材育成に関する委員会に出席する機会を得た。農業には門外漢である私がこのような委員会メンバーを引き受けた理由は次の2点であった。委員会のオーガナイザーの設立主旨に共感したこと。社会価値創造を目的とする社会システムマネジメントを研究テーマとしていたからであった。委員会設立主旨は従来の枠にとらわれない新しい農業人材について議論して欲しいというものであった。農業従事者だけでなく、農業に関するサポーターのような人材も含んだ幅広い人材を対象とする、ということであった。第1回の委員会で農業人材の定義が議題になった。私が提案した農業人材は「いしかわの農業の社会的および経済的価値を理解し、自らその価値を向上することに努力を惜しまない人」という定義であった。経済的価値は農産品を市場を通じて提供し、経済的基盤を得るための基本的行動に伴う価値を意味する。一方、社会的価値とは農業がその特性から生ずる様々な側面に由来する。農業はその生産の場を多くの場合、土地に置く。大地を耕し、そこに農作物を作り、その場を生活の場として人が集まり、集落を形成し、自然と人間、人間同士の関係性の中に文化を生み出して来た。トフラー(2007年1月コラム参照)は狩猟生活から農業を中心とする定住生活への変化を農業革命(歴史学で言う農法変革による農業生産性の飛躍的向上を指す農業革命とは異なる)という表現をしている。その後、産業革命、情報革命を経て今日に至っているが、農業革命で定着生活が形成され、その後の産業革命以降で我々人類は分業、分化といった流れの中を進んで来た。その社会原理は大量生産・大量消費を基本とする量的拡大と物的価値向上による社会発展を目指すもので、20世紀にその頂点を極めた。しかし、それと同時に環境問題や福祉問題など豊かな物質社会の中に心的価値の貧困を見い出す、といった新たな課題の発生に直面する21世紀の門を開かせた。ここに至り、我々は生産中心の分業社会に対し、生産を生産、消費そして休息からなる生活全体の一部として見直しをする生き方を模索し始めている。すなわち、生活者市民といわれる自らの価値観を大切にし、その価値の増大に対する努力を惜しまない人間像が現れてきている。産業革命以来、我々は国家や企業などの組織価値に重心を置いて発展して来た。しかし、その社会価値に重点を置いた発展の成熟段階で人間本来の個人価値に重心を置いた動きを20世紀の末から感じる事が出来る。この背景には情報革命による情報時代の形成と知識共有や知識創造という価値基準の下で、プロ(玄人)とアマ(素人)という区分の存在しない協働、共創の世界の構築を未来ビジョンとする動きがある。生産者と消費者が共同で新たな製品やサービスを開発する。医者と患者が共に健康を追求する。教授と学生が共に新たな知識を創造する。行政と民間が連携し、新たな社会システムを創造するといった現状の動きである。
農業のプロとアマという概念から、農業の価値を自ら認識し、その価値の増大に対する努力を惜しまない人材、農業という生産活動(労働)を生活価値の創造という視点から捉え直すことで、農業生産者以外に消費者、自然保護活動者、村興し活動者などなど、農業とのあらゆる接点を持つ利害関係者がその立場を超えて、農業および文化(農業は英語でagricultureであり文化(culture)を起こす(agri)という意味になる)の創造を協働、共創していくコミュニテイ形成のための人材育成は、農業市民の形成になろう。これは自然と文化資源の豊かな石川県の新たな石川ブランドの創成となり、そこらか新たな商工業との連携発展が図られるような商工農連携価値づくりという将来ビジョンに繋がるような人材育成が見えてくるような気がする。このビジョンは持続可能な社会のモデルになり得よう。