コラム KAZU'S VIEW
2008年08月
北京オリンピックの日本女子の活躍とファン・ジニに見る感動の共通点
8月8日に開幕した北京オリンピックはスポーツのビジネス化、政治的道具化などの問題を投げかけながら多くの感動を与えてくれた。特に日本女子選手の卓球、バトミントンおよびソフトボールで執念のような粘りの光景が印象的であった。多分、彼女らは実力以上の力をオリンピックという晴れ舞台で発揮出来たのではないか。実力があってもそれをいざという刻(とき)に発揮できる力がすばらしい。その大きな部分は精神力という心の力が影響しているのではないか。その感動に似たテレビドラマを連想した。そのドラマは韓国メイドのもので、とてもカラフルな映像の中に女の執念と一途さを怖いほど感じるものだった。それは「ファン・ジニ(黄真伊)」という番組であった。この話は1986年、2007年にチェ・イノ原作で映画化されているが、私が見たのはハ・ジウオン主演、ユン・ソンジュ脚本で2006年制作のテレビドラマである。時代背景は「宮廷女官チャングムの誓い」と同様、李朝朝鮮王朝第11代中宗王の時代であり、主人公は妓生(キーセン)として実在した人物である。そのストーリーは芸(舞踊)の道を究めようとする主人公の苦悩とそれを様々な角度で支援する人々の関わりを描いている。ファン・ジニは韓国語の通例に従い、ファンが付かないと、チニ(妓生名はミョンウオル:明月)になる。そのチニは両班(ヤンバン)の父と、キーセンの母の間に生まれた。妓生の娘は、芸妓として生きることを運命づけられていた時代に、母は娘に自分と同じ道を歩ませたくないと生まれてすぐ娘を寺に預けた。しかし、チニは天性の舞踊の才能を開花させ、母の反対を押し切って自ら妓生の世界へと足を踏み入れる。厳しい師匠のペンムとの確執、ライバルの妓生、プヨンとの競い合い、そして、チニに思いを寄せる男たち(ウノ、キム・ジョハン)との悲恋……。苦しみの中で、チニは、真の芸の道を究めていく。チニの生き様は、家庭を持つか、芸に生きるかの厳しい二者択一の中で最終的には、芸と通じて民と生きるという答えを見つけるという展開になる。ライバルのプヨンは両班などの特権階級に評価されてこその芸であるとの対称的な芸術観を持つ。この2人の人物の描き方は2人の師匠でペンムとメヒャンのライバル関係を継承しつつ、進化するところも興味深い。チニは師であるペンムを越えるのである。キーセンという華やかなファッション性での韓国文化の紹介はあるものの、2008年2月のコラムで取り上げた「プラダを着た悪魔」とは似て非なるものである。女性の世界の裏表を描いているところは似ているが、当代を代表する詩人であり、音楽を愛した芸術家であり、特権階級の芸ではなく民衆の生活の中にこそ、その芸術性があるという、一種の共産主義、あるいは民主主義的イデオロギーの世界まで踏み込んだ芸術観を既に16世紀という時期に、女性が本音で生きることの厳しさがその社会的背景を考えると途方もないものであった時代に持ち、かつ、実践することの先進性と偉業性に感動を覚える。今日のようにその背景的制約の少ない時代に生きられた幸せを我々はどれだけ感じているか?という問いかけのドラマでもあるような気がする。女性の凄まじさは男のそれ以上のものを感じさせた所にこのテレビドラマの価値を認識する。同じ時期に放映された韓国テレビドラマの太王四神記のペ・ヨンジュン主演の物語と対照的印象を受けるのは私の僻み(コンプレックス)であろうか? このファン・ジニのイメージは出雲の阿国に重なる。チニの生きた時代は李朝第11代王中宗(チュンジョン)の御代(1506〜1544)だから16世紀前半であろう。我が国では阿国が京都の北野天満宮で歌舞伎(妓)を披露したのが1603年とされる。戦国時代が終わろうとしている頃、50年前後の差はあるが、日本海を渡り、彼女らは舞踊という手段を通じ、社会変革を芸術を通じてなしえた。その芸術性は正に心技体による心のボデイーラングエッジではなかったか。その後、ご存じのように日本歌舞伎は男がこれを伝承している。日本の男が日本の女性に伝承してもらえる五百年オーダーの何かがないだろうか。