コラム KAZU'S VIEW
2008年07月
Life-天国で君に逢えたらの君は妻か娘か?
飯田夏樹という世界的プロウインドサーファーをモデルとした映画をテレビで見た。とても悲しく、でも心温まる映画であった。ご本人が書いた「天国で君に逢えたら:Tears in Heaven」の映画化で大沢たかお、伊藤美咲さんの共演作である。家族とは?夫婦とは?そして親子とは何か?を日本人に向けたメッセージにした物語として受け止めた。夏樹氏はウインドサーフィンのワールドカップに8年連続出場した唯一の日本人だそうだ。彼には1女2男の3人のお子さんがいたが、多分年長の娘さんの言葉ではないかと思われる「最後の瞬間(とき)までパパはいつも微笑(ほほえ)んでいた。」という副題が何故か心に引っかかる。娘が異性である父親を同性の母親との関係を通して、その夫婦関係を見て感じた女の子のイメージからでた言葉ではないかと思う。今日、日本では家庭崩壊、親殺し、子殺しのニュースが心を痛める現状があるが、その救いとなる物語であり、映画であった。主題歌の桑田佳祐作の「風の詩を聴かせて」もイメージの重なるものである。夏樹氏は肝細胞癌に冒され、余命宣告を受けてから自らの生き様をブログに掲載し、その反響に自ら驚きつつ、残された日々を情報発信に努めた。家族への心残りを抱えつつ、38歳の人生を全うした生き様と彼を取り巻く家族の在りようが多くの日本人の共感を呼んだのではないか。頑健なスポーツマンの肉体が癌に蝕まれるプロセスを実感する苦痛とそれを取り巻く家族の戸惑いとサポートの場面展開は印象的である。うつ病とパニック障害にさいなまれる日々を家族とともに過ごす日々。本人はもちろん家族の心は地獄の日々であったのではなかろうか。その中で主人公が自らの命が生かされていると認識し、自分の生き様をブログに語り続けることである種の救いを見いだし、現世の地獄と来世の天国という道のりを家族で作り上げるところが今の多くの日本の家庭ではやりたくても出来ないという一緒のあきらめと、あこがれがこの物語への共感性になっているように思われる。
日本人は、何かをしたいと思っても周りを気にして出来ないことを映画やお話のバーチャルな世界に持ち込み、満足感に浸る得意技をもつ民族のような気がする。夫婦は他人であるが娘や息子は血の縁がある。父親からすれば娘は異性であるが血の繋がりがある。このような背景は父娘(おやこ)関係を難しくも、面白くもできる可能性を持っているのでないか。現世とあの世(天国)の2つの世界を前提に生死の距離を見据えて男が先に行った時、もう1つの世界で待ちたい異性は妻か娘か、はたまた第三者か?再び巡り合いたい異性は何であるか。従来、あの世で待つのはGodか閻魔様か、相場は決まっていたような気がする。しかし、あの世とこの世しかない?世界ではどちらの世界で、どちらの性が、誰を待つのかを考えさせられるところにこの映画のユニークさを感じる。丁度、お盆の季節を迎え、彼岸から戻られる方々を迎え入れる時期に、それとは逆の方向から2つの世界の問題をさわやかに描いている作品として印象付けるのは、家族のメンバーのキャラクターとタイトルの海と風のイメージにあるのではないか。個人(Kojin)、家庭(katei)そして環境(Kankyo:会社、社会)の3Kの中で心地よい距離感を維持して生活を捉える時、天国で逢いたい君は妻か娘かはそれぞれの家庭でのご主人がその答えを心に秘めておくことが、今の日本ではお互いの幸せかもしれない。