コラム KAZU'S VIEW
2008年05月
昭和の歌謡史のリーダーの共創は明日の日本を目指すリーダーの共感を得るか?
日本の昭和歌謡史をリードしたのは三橋三智也・春日八郎、南春夫・村田英雄だとNHKが特集番組を組んでいた。三橋対春日、南対村田というライバル構成の番組だった。前者は民謡を後者は浪曲を競争の場としていた。いずれも日本の音楽の伝統継承と革新における協創をテーマとしている。演歌という歌謡曲ジャンルがある。最近、黒人米人の演歌歌手ジェロの「海雪」が話題になっている。この曲の作詞は秋元康、作曲は宇崎竜童である。演歌は多くのアジア諸国で共感を得ており、世界的日本価値の1つである。その魅力のルーツ(根)は何であろうか?多分、民謡と浪曲ではないか。民謡は母の詩、浪曲は父の唄ではなかろうか。私が持っている現在の日本人ル-ツ説は,日本の母はフィリピン南西端、スールー諸島のバジャウ,父は北極のイヌイットではないかというものである(2004年10月コラム参照)。日本にはこの2つのルーツが共に残るが、海を隔てた朝鮮ではそれが1つに融合して韓国の「お母さん」になっているのではないか?
さて、競争のテーマとは競争と共創の相違と類似点の明確化である。競争はライバル関係を前提とした勝負の決定、つまりベストワンの決定を意味する。共創は信頼関係を前提とする新たな価値創りを意味し、オンリーワンを目指し、競い合うということである。従って、オンリーワンを創出できれば全てがベストワンになるということである。競争という言葉は元々日本語にあったのであろうか。故国立情報学研究所所長の猪瀬博氏によると競争の英語訳はcompete(動詞)、competition(名詞)になる。その語源に当たるラテン語はcompetereになる。この言葉はcomとpetereの合成語である。Comは共に、petereは探す、である。では何を「共に探す」のか。それは理想・夢であろう。競争は勝ち負けを決めるものであるが、共創は互いの理想や夢を認め合った上で、その実現に向かって努力する姿を競い合うのである。compete(competition)には本来この意味があるらしい。
今年は干支(エト)の周期で数えると、12年の始まり、子(ネ)年に当たる。ネズミを意味する「子」は方角では北を意味し、時刻は午前零時、つまり、1日の始まりを意味する。これからの12年はどのような流れになるだろう。政治、経済、文化の面で日本は大きな曲がり角に来ているような気がする。これから日本はどこに向かうのだろう。アメリカの大統領戦ではアメリカ史上初の女性大統領、黒人大統領の選出可能性が話題を呼んでいる。色々な意味でこれまでにない大きな変革がありそうな予感がする。日本のこれからの12年をどうするか?日本における世代と男女の垣根を越えた共創社会創りを考える時に、音楽の世界でのかつてのリーダー達の共創を日本の音楽界がどう受け継いでいくのかを見ることで1つの答えが出るような気がする。国家間格差より世代格差がより顕著になって来ている今日、音楽は最も有効な情報(こころをしらせる)手段であると信ずるからである。