コラム KAZU'S VIEW
2008年02月
プラダを着た悪魔と薔薇のない花屋に見る共通点は?
メリル・ストリーブ演じるミランダというファッション雑誌「ランウェイ」のカリスマ編集長とその雑誌社に就職を希望するジャーナリスト志望のアン・ハサウェイ演じるアンドレア(アンデイ)を中心として展開されるストーリー。「仕事」、「夢」、「輝く」のキーワードが女性をテーマとした文脈で構成されている映画である。かつては男性の文脈であった様な気がする。作者は、ヴォーグ誌の女性編集長のアシスタントをつとめた経験を持つ20代の新人女性作家のローレン・ワイズバーガー。ある意味奥底の深い暗闇の中に華やかにして女性的苛酷さを持つファッション界の裏舞台をちらつかせながら、誰しもが社会に出たときに出会う驚きや迷い、そして気づきをヒューマンあふれるタッチで描いた、少しの感動とたっぷりの共感を味わわせてくれるムービー。ブランドの顔ぶれは、タイトルのプラダはもとより、シャネル、エルメス、ジョン ガリアーノなどなどが目白押しの日本人好み?のラインアップで楽しい物語。
一方、薔薇のない花屋は連続テレビドラマ。一見、ラブコメデイー風だか子育て、親子愛、恋愛、サスペンスなど色々と味付けされている。主演はSMAPの香取慎吾と竹内結子さん。脇役を尾藤イサオ、三浦友和、池内淳子さんが固める。慎吾パパ(ママ?)の娘役として雫(シズク)という名の女の子を八木優希ちゃんが熱演している。この子の母親の父親で病院の院長と慎吾パパが母親の死をめぐり敵対関係にあることを中心に物語は展開される。日本的湿り気と陰気さを慎吾君がそこはかとなく醸し出している。今の日本男児の熟知たる控え目姿勢を思わせるところが心痛む。
2つのドラマは独断と偏見であるが、共通点を見出すことができる。プラダを着た悪魔はその背景がファッション界で女性がビジネスに生きる姿を描いている。カリスマ編集長のミランダは男勝りのビジネスウーマンである反面、自らは主婦・母親としては失格者で、家庭に恵まれずビジネスに生甲斐を求める女性。かつての会社人間を彷彿とさせる。一方、アンデイは憧れのジャーナリストとしてファッション界に夢を描く。しかし、その世界に失望し、気の知れた恋人や友人のいる身近な世界にその未来を託すことになる。青い鳥の話のように。アンデイがミランダと決別する際にミランダからの呼び出し携帯を水の中に捨てるシーンの後、ミランダがさっそうと迎えの車に乗り込む際にアンデイと目線を合わせるが、ミランダの方が目を背ける。2人の女性の戦でアンデイの勝利を意味したシーンのように見えた。薔薇のない花屋という題名は不思議である。花屋もファッションと同様に美しさを競う場であるが、その中でもバラは象徴であり、薔薇のない花屋は常識外れであろう。薔薇には美しい花と危険な棘(トゲ)がある。2つのドラマはファッションや花といった一見美しく、きらびやかなものを対象としているが、その美しさは外見ではなく、内面的な心の美しさへのメッセージになっていないか。そして、その美しさは身近にあることではないか。男がより男らしく、女性がより女性らしく、を極める価値創造の共創の中に日本の将来が見えて来るような気がする。