コラム KAZU'S VIEW
2007年11月
TULIPのアルバム『run』はドンキホーテの男の見果てぬ夢への挑戦か
今年で結成35周年を迎える音楽グループのTULIPとうい男5人組が全国ツアーをしている。11月に金沢で彼らのコンサートツアーが開催されたが残念ながら機会を逸した。この35周年を機に再び活動は停止されるという。1970〜80年代に青春を迎えたジェネレーションには寂しさを感じる情報である。彼らは1989年に解散し、その後、1997年、2000年、2002年、2005年と期間限定で再活動をしている。そのリーダーが財津和雄氏である。今年18年ぶりにオリジナルアルバム"run"を出した。その詩の中に財津氏の思いが感じられる。「もう一度夢を追う、虹の向こうに、子供の頃抱いた夢を求めて・・・・。」彼の詩に出てくる「君」は自分の分身または自分の光と影の意味合いで使われているのではないか。彼らの魅力は純粋さ、真面目さのように思う。1つの男の世界なのかもしれない。彼らがデビューした頃に大学に入学した。学園紛争の中に学生生活を送りつつ、当時は彼らの詩は個人的には余り共感を得るものではなかった。むしろ5月のコラムで扱った中島みゆきさんやユーミンの詩に共感性を持っていたような気がするが、実は共感する自分を認めることに何か男としてのプライドを捨てるような錯覚を持っていたような気がする。今からすると当時の素直でない心の内が、若いという意味だったのかもしれない。そういえば、当時は男性シンガーの多くはグループとして活動していたような気がする。かぐや姫、アリス、安全地帯などなど。学生運動もグループでの行動が目立ち、やがてセクト間の闘争へと内部分裂し、社会からの離脱へと進んで行く。先日のテレビ番組で当時日大で全共闘の活動家としてリーダー的存在だった方を取り上げた放送があった。また、歌手の加藤登紀子さんを取り上げた番組で、当時学生運動の活動家であったご主人について登紀子さん自身が当時の様子を振り返っていた放送もあった。メデイアも今年は70年代、学生運動を取り上げることがトレンドだったのか。
子供の純粋さを持ち続けることは卓越した経営者の条件の1つであると聞いたことがある。最近、コーチングという指導法が注目されている。これは如何に人間の持っている優れた面を引き出して、これを伸び育てるかの方法論である。この方法を使って経営者のコンサルテーションをしているアメリカの友人と話したことがあるが、その方法では子供の頃の夢を聞き出し、その夢を強く自覚させ、持続させていくというプロセスを取る。大人になると夢を無くすというパターンを我々は無意識に受け入れている。これを大人になったと言っている。ユーミン作詞、作曲の(当時、荒井由実)「いちご白書をもう一度」という詩の中に「就職が決まって髪を切った時、もう若くないさと言い訳した・・」というフレーズを思い出す。ドン・キホーテ・デ・ラマンチャのImpossible dream(見果てぬ夢)を生涯追い続ける姿に共感できる世代になりえた今こそ、この無意識を明確な意識にした上で、「ありたい姿」を描き、「今の姿」と比べ、実現可能な「なりたい姿」を描くことで明日に続く「今やる姿:run」がすべての人の「道創り」になるのではないか。そんなメッセージを彼らから35年の月日を経て受け取ったように思う。