コラム KAZU'S VIEW
2004年01月
石川ブランド創りはカカ楽とトト楽のコラボレーションで
申年が始まった。猿ではなく申という字を調べるとその意味に「のびる、のばす」と「かさねる」という意味がある。ここ十年来、縮きった日本が“再び(かさねて)のびる”時の到来と考えたい。このコラムを始めて4ヶ月(1シーズン)が過ぎた。昭和60年の11月に石川県に来て早、19年目になる。あと1年で成人式である。娘が今年成人式を迎えたが、私は石川県人としてはまだ未成年である。このコラムが奇縁で、石川県の今後の10年を考える委員会のメンバーに加えてもらった。現時点で石川を離れようと言う気が半分以上しない。その魅力は何か考える良い機会と思っている。
石川県は北の能登地域と南の加賀地域に二分されている。こちらに来て初めて知ったのだが、この二つの地域に関しては地元の方からすると多いにその違いを意識されているようだ。能登には「能登のトト(お父さん)楽」という言葉があるそうで、能登の女性はしっかり者でお父さんは楽ができるという意味らしい。又、加賀地域では、「加賀のカカ(お母さん)楽」という言葉があるとのこと。関東地区には「かかあ天下と空っ風」という言葉がある。2年程前に「松と利家?」、「利家と松」という、テレビドラマが話題を呼んだ。
金沢は女性旅行客の人気スポットのようで、特に30代後半から40代後半の方が多く、長期滞在型であることを1988年に座長を務めた「観光地情報システム推進連絡会」の調査データで知った。因みに、男性旅行客のピークは40代後半から50代で短期滞在(近辺の温泉に滞在し、帰路金沢に寄り、奥さんにお土産を買うパターンらしい)とのこと。1つの県で父さんも母さんも楽ができる所がある県は全国でもまれではないか。
10月のコラムでも触れたが、現在、裏日本と呼ばれる北陸は千二・三百年前には表日本と呼ばれ、先端的文化や技術は全て中国から朝鮮を経て日本海側に伝わり、日本全国に伝播された。「能登」という言葉はアイヌ語で先端という意味らしい。その後、武士が台頭した初期の時代には平家の人々が能登に来て、時國家を今に残している。さらに、戦国時代には一向宗徒が世界に先駆け「共産主義の実践(農民の国創り)」を行っている。その後、前田一族が加賀百万石の豊かな治世を外様として実践している。その流れが西田哲学として帰結されているのではないか。
数年前、ある情報システム会社のユーザフォーラムで講演を依頼された時、同じく講師で来られていた五木寛之氏のお話を聞く機会があった。情報技術に関するフォーラムだっただけに、「青春の門」や「さらばモスクワ愚連隊」程度でしか知らなかった氏がどの様なお話をするか楽しみだった。氏の奥様は金沢出身らしく、自らも学生時代内灘闘争で石川県に来た経験があるとのこと。最近の活動は「日本の心」を中心に展開されているようで、その金沢評の「適度な湿り気のある風情と人情」という言葉が印象に残っている。
その時「情報」の情は「こころ」と読むことを教えて頂いた。現在の情報化社会は乾いており、心が干上がっている。今こそ、適度の湿り気を心(情)に満たす必要があろう。その意味で情報は「こころをつたえる」、「こころに報いる」本来の姿に回帰すべきとの主張に聞こえた。情報化社会から情報社会(ユビキタス社会)へのリーダーシップを取れる可能性のある地域として北陸を上げているのではないか。物的価値、経済的価値に行き詰まった世界の期待は日本的心(情)的価値にある。その日本の心の故郷の1つとして石川ブランドを父さんと母さんが楽しんで創れるものにしてはどうか。これが実現できれば石川県民110万人余りがその伝道者として日本中、いや、世界中でセールスマンとして自然に振る舞えることだろう。
松井秀喜君は野球の道でこれを実践したベストプラクテイス(最先端実践者)である、石川県民1人1人がそれぞれの道で松井君をライバルとして一生懸命に頑張る。それが石川ブランドの価値を更に高める。ナンバーワンより多くの共感を得るオンリーワンの価値創りを楽しむ。そんな初夢から目が覚めた。