コラム KAZU'S VIEW

2007年06月

ワルシャワは大国間の狭間に生きつつ女性がリードするカカ楽の世界か?

6月16日から20日まで第18回ISPIM2007国際会議に出席のため、初めてポーランドのワルシャワを訪れた。ポーランドというと、アウシュビッツ、ヨハネ・パウロ2世(第264代ローマ教皇)、ワレサ議長、キュリー夫人、フレデリック=フランソワ・ショパン、ミコワイ・コペルニク・・などのキーワードが浮かぶ。学会のテーマは「東西の融合によるイノベーション」であった。大会のアトラクションで民族衣装と民族音楽のショーがあったが、その雰囲気はロシア風、チロル風(北イタリアとスイスにあるような牧歌的で色彩豊か衣装、前回のISPIMが開催されたギリシャで見た色彩感覚もあるような気がしたが)の入り混じった印象を受けた。華やかな雰囲気の中に何かわびしい、もの悲しい雰囲気をかもし出していた。その時は明確なオリジナリテイを感じ得なかったことに少し疑問を覚えた。その後で、1日ワルシャワの旧市街地(Stare Miasto)の見学に出かけた。その過程でガイドしてくれた女性が何度も繰り返し物語ってくれた言葉が印象的であった。ナチがワルシャワを去るとき、すべての町並みを破壊していった。その行為はポーランドの文化そのものを歴史から抹殺することにその意図があったのではないか。しかし、ナチが破壊しきった町並みを我々は8年間という短い時間で元通り復元し得た。その話をしながら自信ありげな彼女の微笑を見たとき、女性の凄さを感じた。今は再建されたその美しい町並みの姿を見ながら広場となっている旧市街を抜けるとある家の前に来た。そこはキュリー婦人(マリヤ スクウォドフスカ・キュリー)の生家だった。キュリー婦人と言えば、1903年に化学賞、1911年に物理学賞と生涯2回のノーベル賞受賞の偉業を達成した唯一の人間であり、その娘もノーベル化学賞を受賞している。その家は結構狭く、彼女が使用した日常品は決して豪華なものとは思えない品物ばかりであった。キュリー婦人とガイドしてくれた女性という限られたサンプルからではあるが、ポーランドの心は女性がリードしているのではないかと思った。その力強さは民族の歴史として、強大国の狭間で生き延びるためのしたたかな女性の生き様を見せつめられたような気がした。現在ポーランドはドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシュ、リトアニア、ロシア(飛び地)の7カ国と国境を接している。その意味で、西ヨーロッパと東ヨーロッパの交流ポイントになっているため、彼らの意識からは東西欧州融合が旗印になりうる地理的特性を持っているのであろう。しかし、その反面、ナチに何百万人、スターリンにそれ以上の同胞を殺害された悲しい歴史を持つ国に生きる女性のしたたかさを憧れを持って見る自分に不思議な思いを抱いた。

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