コラム KAZU'S VIEW

2007年04月

壬生義士伝はラストサムライの日本版か?

滝田洋二郎監督作品で「壬生義士伝」という映画を2回見た。最初は飛行機の中のビデオだった。その時は言いしれぬ感動だけが記憶に残った。2回目はテレビの映画番組だった。改めてその感動の理由を確認できた。この作品は2004年日本アカデミー賞の作品、最優秀主演男優および最優秀助演男優の3賞を受賞している。この映画の原作は「鉄道員(ぽっぽや)」などを書いた浅田次郎氏の作品である。映画の主演は中井貴一氏であった。話は南部盛岡藩の脱藩浪士吉村貫一郎という実在した新選組隊士の生涯を描いたものである。文武両道の才がありながら身分の低さから極貧の家族を生き延びさせるために脱藩し、新選組に入隊したが守銭奴と呼ばれ、蔑まれた。主人公は鳥羽伏見の戦いに破れ、脱藩した盛岡藩邸に逃げ込み、幼なじみでその藩邸を預かっており家老職にあった大野次郎右衛門の情けで、藩邸内の一室で切腹することになる。彼の死後、息子は五稜郭に入り薩長軍と戦う。娘は大野の息子と結婚し満州に行くことになる。映画はその大野の息子が医者として東京で開業していたところに貫一郎と新選組で一緒にいた斎藤一が孫の治療の付き添いでやって来て貫一郎の写真を見つけて昔を回顧するというシーン展開になっている。斎藤は貫一郎に対し最初は守銭奴的行動を蔑んでいたが、やがてその行動の背景に家族に対する愛情とそれを貫くために脱藩という不義を犯したことへの悩みを抱えつつ、最後には武士としての志を鳥羽伏見の戦いで錦の御旗に一人立ち向かう貫一郎の行動から、武士の心を見出し、共感する。
貫一郎は南部盛岡藩にいた時は藩の若者を相手に剣術指南役を務め、次代を担う人材の育成に携わっていた。彼は若者に対し、常に「あっぱれ花っこを咲かせてみろ。」の言葉を投げかけていたのが印象的であった。幕末当時は下級武士が時代を動かしたが、その象徴として新選組があり、また、その敵対関係者の薩長軍リーダーであった西郷隆盛や木戸光允(桂小五郎)、志半ばで散った高杉晋作や坂本龍馬らがいる。吉田松陰の「草莽崛起(ソウモウクッキ)」(2004年5月コラム参照)が日本中で実現し、その結果としての戊申戦争は悲劇的な結末となった。しかし、同時に新たな日本の価値づくりの視点からは、明治以降の百年余りの経緯を見る時、新たな時代の流れを形成するきっかけとしてのエポックメイキングの意義は大きい。4月からNHKで始まった朝ドラの「どんど晴れ」は盛岡が1つの舞台になっている。そこで語られる言葉の暖かみはその自然環境の厳しい寒さと対照的で、印象深い。自然環境の全く異なる南国、沖縄の歌に「はな」という曲がある。その歌詞に出てくる「泣きなさい、笑いなさい・・・人として花を咲かそうよ。」は最初に聞いた時にとても印象的であった。花に託す日本人の心は南北に伸びる日本の中で通じる日本的価値として受け止められる。「壬生義士伝」の英語タイトルは“When the Last Sword Is Drawn.”である。武士が最後の刀を振るう時の心中はどの様なものか。これをどう次代の日本人に伝えて行くのか、を真剣に考える時に来ているのではなか。

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