コラム KAZU'S VIEW

2007年02月

『もったいない』は多神教と一神教の融合世界に通じる価値観ではないか?

先日、日本の「もったいない」がインターナショナルな言葉"Mottainai"として国際語になったという話をテレビ番組で聞いた。環境保全の時代を迎え、その意味合いが改めて国際的価値になってきたようだ。この「もったいない」は単に節約、倹約によって資源の枯渇を先延ばし、環境負荷の増加速度をゆるめるという消極的な意味合いではく、その節約や倹約の過程での創意工夫の豊かな世界を楽しむ精神に価値があると言うことであろう。番組では茶道におけるわび、さびの世界の形としての茶室に極小の中の極大を見出す世界として、また、京都の町屋作りの中に自然と共存する生活の姿を「もったいない」の世界として紹介していた。

この番組では「もったいない」の文化を持つ民族としてケルト人を取り上げていた。どうしてケルト人が「もったいない」と関係があるのか良くわからなかったので調べてみた。ケルト人とはインド・ヨーロッパ語族の一集団として、東ヨーロッパに最初の文化的痕跡を残した民族らしい。彼らはかつてヨーロッパ全域にその勢力範囲を拡げ、ヨーロッパ文化の基礎を築いたとさえ言われるにも関わらず、ローマやゲルマンの組織力に圧され、次第にヨーロッパ極西部に追いやられてしまった。そこでヨーロッパの歴史を遡ると、ヨーロッパのBC3000-2000年頃にはバルカン及びイベリア半島よりヨーロッパへ民族移動の波が生じ、この中で文化の融合が起こり、その結果として巨石による墳墓づくりが始まったらしい。これは現在イギリスにその遺跡が見出される。BC2000-1500年頃インド=ヨーロッパ語族が西ヨーロッパに定住し、青銅器が広まり、黄金細工技術が生まれることになる。BC1200年頃にケルト人がイギリス諸島に定住する。彼らはブリテン島のブリテン人、アイルランド島のゲール人、スコットランドのスコット人になるらしい。この頃、武器の製法が発達したと言われる。BC800年頃にケルト人 が東ヨーロッパにヨーロッパ初の鉄器文化を打ち立て、いわゆる第一期ケルト文明が生じた。BC700年頃にはブリテン島、アイルランドへヨーロッパから大量移民。ケルト人はイベリア、ブリテン島、アイルランドで大いに活躍するに至る。その後、BC600-500年には西ヨーロッパで高度の鉄器文化を生みだし、第二ケルト文明と呼ばれ、アイルランドでも製鉄が始まった。その後、BC428年にはレアラ王が全土を統一し、王位についた。彼は最初で最後のケルト部族全体を治めた王といわれる。その後、ケルト人はアルプスを越えて南下し、ローマを占領するが、アレクサンドロス大王によってその勢力を抑えられ、ローマ人により、ブリテン諸島へと追いやられる。彼らの精神基盤には多神教がある。神族としてのパーホロン、ネメズ、フィルボルグ、アハ・デ・ダナーン、ミレー族などがいたらしい。この中に「小さき人々」と呼ばれる妖精がいる。妖精というのは崇拝もされず、供物も捧げられなくな神で、人間に近い存在である。ピーターパンに出てくるテインカーベルはこの神に当たるらしい。これらはW・B・イエイツ「ケルト妖精物語」井村君江編訳・筑摩書房で述べられている。

ケルト人の説明が長くなりすぎたが、かつてのヨーロッパを支配した民族であるケルト人は、現在、ヨーロッパの西の果てに追いやられている。その西には大西洋があり、アメリカ大陸を挟んで太平洋になる。大航海時代にヨーロッパ人は西を目指し、アメリカを発見する。この精神はケルトの延長上にあるのではないか。振り返ると日本人も多神教民族である。万物に神が宿る。一神教と多神教の共存世界は、日本人の「極小の世界に極大の世界を見出す。」の世界に通じるのではないか。

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