コラム KAZU'S VIEW
2003年12月
安全と日本人
イラクへの日本の貢献策として自衛隊派遣が議論を呼んでいる。日本の安全保障を含めて日本人が安全について個人レベルから国家レベルに渡って考える機会がおとずれている。かつて日本では水と安全はただといわれた時代があった。この神話が崩れたのは1994〜95年におきたサリン事件がきっかけではなかったか。この事件は物的・経済的豊かさを持った社会の中で起きた心的貧しさを象徴したものであると共に、国家の安全保障は国家間の戦争的行為以外に1個人や組織によっても脅威が存在することの前兆ではなかったか。日本人には最も危険な国の1つであり、彼らに言わせると世界で最も安全な国と言われるイスラエルに初めて行ったのは、ちょうど湾岸戦争が終わった1991年8月Innovation Managementの会議出席の時であった。
エルサレムに入って最初に目に入ったのは片手に買い物篭を持ち、肩に小銃を掛けた女性が「フセインのミサイルなど当たるはずがない。」と言いながら歩く姿であった。エルサレムの町は壁を1つはさんで4つの異なる宗教を信じる人々が、全く異なる精神空間で生活している。エルサレムの回教徒寺院を訪れた際に案内人が寺院の壁の傷を指差して、この傷の謂れを説明してくれた。数ヶ月前にイスラエル兵が来てここで小銃を乱射して多くの死傷者が出た、ということであった。私はどうしてイスラエル兵はそのような事をしたのかを訊ねたが、案内人は私の質問自体が理解できないということだった。質問はその原因から不幸な結果にならないような対応策が考えられるのではないかという原因・結果関係からの危険回避策検討の発想であったが、彼にはその発想は通じなかったようである。結果のみがあり、原因や過程は考えても仕方がないという考えであったようだ。
2001年9月11日のテロ事件以降、日本でも空港の安全検査が行われるようになったが、その際の手荷物自己チェック3項目、手荷物から目を離したことはないか。荷物はすべて自分で入れたか。お土産は持っているか、その包装は自分の目の前で行なわれたものか。であるが、これはイスラエルへの入出国の際に1時間ほどかけて入念に行われる(イスラエルでの空港チェックインは出発3時間前である)。最低2人の検査官が同じ質問を繰り返し、回答が違うと3人目が確認するというものである。この3つの質問に日本人的真面目さで回答すると全て“Yes”と答えるのは困難が多いのではないか。2時間弱のコミュニケーションを通じて彼らの安全は個人が責任を持って保証し、これが最も効果的な方策であるとの認識を持っているという理解に至った。
イスラエルから帰国して数ヶ月程後に新聞でイスラエルとアラブの平和交渉がスペインで開始されたという小さな記事を見て驚いた。多分、多くの日本人は流血がでる前に何故会話のテーブルにつく程度の努力ができないのか?当たり前のことがやっと始まった、と考えるのではないか。宗教観は心的価値の典型でもある。2000年におよぶパレスチナの帰属問題はその起源を同じくする宗教におけるこの心的距離の大きさとエルサレムにある物的距離としてのたった数メートルの壁の距離の違いを象徴している。
1995年8月に再びエルサレムを訪れた時、和平交渉は着実に進み、出席したInternational Conference on Production Researchでは平和復興に関わるテーマが目白押しであった。2回目のエルサレムであったのでゴルゴダの丘への道をゆっくり歩いてみた。その時、イエスはどんな気持ちでこの道を歩き、また、彼を見送る母や弟子達とどの様な心のコミュニケーションを交わしたのであろう。そんな思いに心を動かされながら帰国し、数ヶ月もしない内にパレスチナ暫定自治合意を推進したRabin(ラビン)首相の暗殺記事を目にした。
かつて日本人は聖徳太子の時代にそれまでの八百万の神や儒教と仏教を日本的に融合して、新たな日本教とでも言うべき宗教観を作り出し得た。また、鎌倉時代から始まる武士の時代の中でも混乱期であった戦国時代の16世紀には宗教の力で農民の国を作り得た。このことはかつての日本人が心的価値創造において世界的に先端実践を行ってきたことを意味する。21世紀を迎え心的価値創造競争力が新たな人類の課題解決の糸口になっている。現在の日本人はかつての日本人の心的価値創造力のDNAをどれだけ顕在化できる能力を持ち合わせているか、日本人の心的価値を反映した安全観を世界は期待している。これに応える責任を現在の日本人は持っているのではないか。