コラム KAZU'S VIEW
2006年10月
友部正人の詞(うた)は和魂伝承か?
歌手友部正人をご存じだろうか。彼の詩はとても日本人の誇りを呼び起こす。Speak Japanese American,という詩はとても感動的であり、挑戦的である。日本に来て一年以上たつアメリカ人に、どうして日本語が話せないのと質問する詩は日本人にしたらごく当たり前の気持ちなのに、日本人の言葉から素直に出ないことが不自然である。その素直な気持ちをそのまま詩にして歌う。ごく自然であろう。友部氏は1950年5月に東京で生まれたらしい。私より1級上の方のようだ。学生時代に70年代学生闘争で火炎瓶(懐かしい)を投げた経歴があるらしい。「日本のボブデイラン?」と呼ばれている。ビートルズが音楽へのきっかけだったとか。その後、ボブデイランのLike a Rolling Stonesで詞の世界に入った人らしい。日本とニューヨークを行き来しながら、日本の音楽アーテイストを始め多くの知的活動家との交友ネットワークを持っていると聞いている。話を"Speak Japanese American"に戻そう。日本人の今の心的価値の多くは黒船来航以来のアメリカ合衆国の脅迫観念に支配されて来ているのではないか。その頂点は大東亜戦争の敗北であろう。それを引きずって生きているのが2007年問題の主役の団塊の世代ではなかろうか。それを越える日本人の1人が友部正人氏ではないか。和魂洋才を掲げて二百年近い年月がたったが、和魂和才への回帰を目指して日本は進んでいるのだろうか。ビートルズが現役時代、世界には多くの音楽アーテイストがキラ星のごとく活躍していた。Rolling Stones、エルビスプレスリーなどなど。Rolling Stonesは未だに現役でミックジャガーの齢を重ねた渋味の中で、あの口元のセクシーさは未だ健在であることに脱帽である。友部氏の音楽ジャンルはフォークとされている。音楽評論家の三井徹氏によれば、フォーク音楽はみんなで歌うという側面の他に、個人の自己表現の場という視点もあると言う。その象徴がボブデイランらしい。個人の自己表現の場という視点はフォークよりブルースの意味合いとのこと。ブルースというと日本では女性歌手がすぐ挙がる。淡谷のり子、青江三奈さんなどなど。三井氏の言葉を続けると、ブルースは黒人労働歌を原点とし、彼らが奴隷制度という社会システムから解放され自由の身になった時、人種差別という心の価値の閉塞性から再び黒人共同体を自ら作り出し、その共同体に引きこもるという新たな行動の反面に自由という存在を持ち得た。ここに、ブルースの共同性と個人性の二面性が創出されたと言うのである。
現在の日本を考えてみよう。徳川時代以降、日本は儒教思想を基礎に家制度を中心とした家族主義が伝統として存在して来た。明治維新以降は家は拡大解釈され、国家や大東亜共栄圏へと広がりを見せた。そして、昭和20年の終戦を迎えた。戦後、民主主義の思想がアメリカ進駐軍を中心に日本に展開された。そして21世紀を迎えた今、日本人はどこに向かおうとするのか。個人が自由を求めるという本質は「個人価値」として益々多様性を増す一方で、その自由を担保するための社会的合議性(または融合性と言うべきか)を基礎とする「社会価値」というもう1つの価値の重要性が高まっている。この2つの価値創造が今日本人が世界から問われている課題ではないか。その答えを出す責任を日本人は自覚し、改めて「和魂和才」の回答を求め続けることが徳川時代以前の日本的価値を含めた日本価値の創造になるのではないか。