コラム KAZU'S VIEW

2006年09月

ロハスは日本の教育再構築のキーワードか?

ロハスという言葉を耳にした。何だろうと調べてみると英語の音訳(オトヤク)でLifestyles Of Health And Sustainability:LOHASから来ているらしい。頭文字をつないだ造語で、「健康や持続可能性を重視するライフスタイル」を意味する。ここ数年、「食育」とい言葉が幅を利かせている。要は日本の家族か一緒に食卓を囲まなくなった現れではないか。5,6年前に(社)日本品質管理学会の会長をされた前田又兵衛氏が言われた言葉を思い出す。「日本の夕飯の時間はテレビを消せ。」テレビが日本の夕食の食卓から会話を奪った張本人であったのだろう。しかし、テレビは戦後の日本の成功、幸せの象徴であった。我々が子供のころ、テレビとは魔法の箱、ドラモンの何でも・・・のような存在だった。街頭にテレビ台があり、これを見に人々が集まり、力道山の空手チョップに一喜一憂した。栃錦・若之花の熱戦に手に汗握る時間を楽しんだ。あの頃は物は少なかったが、心は至る所に満ちあふれ、人と人の会話が心和む雑音として町に満ちあふれていた。スローフードなどという言葉も「日本人よ!もっとゆっくりしていいんじゃないの?」という問いを伝えようとしているのではないか。たまたま、街興しのアドバイザーとして活躍している友人からの紹介で、三国シェフと語り、食事を楽しむ会に出席した。食事は余り記憶にないが、彼の話から3つの学びを得た。1つは、氷見の寒ぶりには料理のテクニックは負ける。料理とは「料」は素材を意味し。「理」は調理のテクニックを意味する、とは團伊玖磨の言である。寒鰤は素材として強すぎる。これに勝には氷見湾の300種を越す豊かな魚種を生かし、雑魚のコーデイネートに「理」の技が生きる。2つ目は氷見牛の存在であった。3つ目はフランス料理が唯一グローバルな料理になり得ているのは、レシピ(分量表)にある。料理の世界ではその料理法は門外不出であった。しかし、フランス料理はその料理法をレシピとして公開したところがグローバルたる所以だという。今、製造中核人材育成のための教育プログラムを開発中である。そのテーマは人材育成と技術伝承である。職人気質の方の中には自分のノウハウを外にだすことは自分の存在自体を失うことにつながると思い込むんでいる方が多いのではないか。しかし、自分の生き様を次代の人がどのように受け取るかを楽しみにするのも一興ではないか。その心を持ってこれからの日本のものづくりに期待を託す気持ちの多きを願いつつ、プログラム開発を続けている。この2つを同時に満たすことはどうすれば良いのか?試行錯誤をしていたが、三国シェフのこの言葉に力を得た気がする。

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