コラム KAZU'S VIEW

2006年05月

皐月の鯉の吹流し、口ばかりにて腸(はらわた)は無し、は男の本質か?

久しぶりに生まれ故郷の山梨に帰ってゴールデンウイークを過ごした。その時、800匹近い鯉のぼりが皐月晴れの空を泳いでいる様子を目の当たりにして感動した。約1,200匹の鯉のぼりが五月晴れの大空に群泳!という新聞記事があった。「相模川に5本のワイヤーを渡し、約1,200匹の鯉のぼりが泳ぎます。約1,200匹の鯉のぼりが泳ぐ姿はまさに壮観です。青い空にゆったりと泳ぐ姿を見ていると自然に生かされているという実感がわきます。ぜひご覧ください。」というものであった。川渡しの鯉のぼりは全国でもいくつか見られる。群馬県万場町、高知県四万十川と仁淀川、沖縄県国頭(くにがみ)村、熊本県杖立温泉、石川県大谷川、千葉県国分川、福島県保原村、茨城県水府村、埼玉県加須市、和歌山県熊野市などである。

相模川はその源流が山梨県の山中湖で河口は平塚市千石河岸と茅ヶ崎市柳島沖の相模湾とされる。山中湖からの水は桂川となって大月で笹子川と合流する。その後、神奈川県に入る。笹子川は私が子供の頃に遊んだ川である。その相模川の流れの一角に怪童伝説の一つ、気は優しくて、力持ち---の金太郎伝説がある。ただし、金太郎伝説は関東から近畿間の広範囲に伝承があるとする資料もある。自然の中でのびのび育った金太郎は、健やかでたくましい男の子の象徴として、五月人形にも取り入れられている。金太郎は、坂田金時(サカタノキントキ)という実在の人物の幼名である。彼は976年〜1017年当たりに登場し、平安時代中期の武将で大江山の酒顛(しゅてん)童子征伐や土蜘蛛退治の伝説でその武勇が有名な源頼光の四天王のひとりであったとされる。相模の国、足柄山に住んだ山姥(やまうば)と赤竜(雷神)との間に生まれたと言われる説もあり、全身赤くて肥満し、怪力を有し、熊・鹿・猿などを友とし、常に鉞(まさかり)を担ぎ、腹掛けをかけ、相撲・乗馬を好んだ子供と言われている。

金太郎は以前取り上げた桃太郎と良く比較される。いずれも取り巻きが動物であることが共通しているが、その関係形成がかなり違っている。桃太郎は吉備団子を介したパートナーシップ形成であるのに対し、金太郎は相撲などを通じた競争優位に基づく組織形成を行っている。近松浄瑠璃には金太郎が熊を徹底的に圧倒する様子が描かれているし、猪の鼻を折って埋めたという「猪鼻神社」があるという。桃太郎が和のシンボルに対し、金太郎は力のシンボルのイメージが強い。これは金太郎の父親が力の象徴である赤竜(雷神)という説からも強い影響を受けているのではないか。また、桃太郎は海、金太郎は森をその舞台としている。森、川、鯉の取り合わせは、力によるリーダーシップという単純、明快な金太郎のイメージを強くしている。これは、江戸時代に町民文化として始まった鯉のぼりの風習が雛人形にみる偶像化現象と融合して今日の端午の節句の形式である、鯉のぼりと五月人形の取り合わせが形成されたのではないか。以前、日本人の起源説として北方遊牧民のイヌイットと南方海洋民族のバジャウの人々を取り上げた。前者は父系家族、後者は母系家族を基盤とした社会構成をしていることを指摘した。金太郎はイヌイットを、桃太郎はバジャウの流れを汲んでいるのではないか。金太郎は腸がないのかどうか、判らないがその特性として力と単純性があげられる。その力の向けどころが母親に当たる山姥(やまうば)の特性の影響を受けるのではないか。

先頭へ