コラム KAZU'S VIEW
2006年04月
日本の野球世界一の意味するものは?
16ケ国が参加した大リーガーを含めた野球世界一を決める初の国際大会「2006 WORLD BASEBALL CLASSIC」が終わった。パワーでは米国やドミニカ共和国などが優勝候補として前評判が高かったがこれを覆し、世界最初の野球世界一決定戦で王JAPANが優勝した。屈折した経緯ではあるが明るい話題である。先にトリノオリンピックでは女性選手が話題をさらった観があったが、男の活躍がこれに続いた処に、またこのニュースの意味があろう。チームで唯一の日本人メジャーリーガーとしてイチローがキャプテンを務めて話題を呼んだ。予選で韓国に負けたものの本戦に出場することになった。本戦でも一旦は決勝進出が不可能になったが、ルールとアメリカの敗退というアクシデントから決勝進出を果たした。決勝ではアマチュア最強軍団のキューバと対戦し、初回に4点を先制するなど5回までに6点を奪い、その後キューバに1点差に詰め寄られたものの、9回にイチローのタイムリーなどでキューバを突き放し、10対6で勝利した。
かつて日本に野球が伝えられ、大学野球が日本の野球界をリードしていた時代、日米対抗野球試合が日本で行われたと聞いている。往年の日本野球の先人達がベーブルースなどと一戦を交えていた。あのベーブルースの記録を超え、王貞治選手がホームラン世界記録の756本を作った1977年9月3日頃、私は十二指腸潰瘍で国立第二病院に入院していた。丁度同室にいた患者さんが王選手の子供の頃の野球チームの監督をされていたということで、毎日その話題で時間を過ごしたことを記憶している。その頃、長雨の冷夏だったことから明るい話題として王選手のホームラン世界新記録達成は待ち望まれていた。この天候を反映して布団乾燥機なる新製品が三菱電機から発売され、大ヒット商品となった。あれから三十年の年月が経過した。あの頃の心の勢いは今の日本には無い。良いのか、悪いのかよくわからないが、ベーブルース→王貞治→王JAPANの世界一達成は野球における日本ブランド創出を象徴しているような気がする。
野球は日本の文化の1つになっている。特に高校野球に見るように野球が教育の場に導入され、効果を発揮している点は注目に値するだろう。レジー・スミス氏が日米野球教育比較論を次のように述べている。日本の指導は、細かいルールを作りすぎる。失敗させないためのルールではなく、細心の注意を払いながらも、失敗を経験させることによって、人間は成長していくということを、指導する側は念頭におく必要がある。子供の好奇心をかきたて、失敗も含めた多くの経験をさせてあげる指導が本当の教育である。アメリカで成功するためには、誰からも言われなくても、自分に厳しく接することができる強い自覚が必要である。日本では、失敗させないために、細かい指示をして、ある意味子供を守っているが、ある程度自分で判断する機会を与えないと、自立心が育たず、本当の強さが身につかないように思う。真の一流の人間とは、強制された練習をこなすだけではなく、上達したいという気持ちから、自分に必要な練習を判断して、自分自身に厳しくその練習を課すことができる人間だと、氏は指摘する。
王JAPAN世界一の背景には野球を通じた人材育成の成果を無視できない。その教育法には違いがある。この違いが日本的野球とアメリカ的野球を創造することに繋がり、その成果を問う場がWBCになってほしい。野茂選手を先頭に日本人メジャーリーガーの活躍実績は定着して来ている。日本人の野球における個人技レベルでの実証は彼らが行ったが、チーム技術は今回の世界一で検証されたといえるだろうか。ビジネスの世界でも同様ではないか。スポーツもビジネスも人材育成競争力がそのパフォーマンスを決めるキーファクターのようだ。