コラム KAZU'S VIEW

2005年12月

年の瀬のマニラは排気ガスの充満する30年前の東京

12月3日から7日までフィリピンのマニラで第6回APIEMSが開催され、これに出席のため気温差20度以上の旅をした。しかし、予想外にマニラではホテルのエアコンが利きすぎて寒ささえ感じる日々であった。マニラは2002年8月以来、2度目になる。先回は夏、今回は冬のマニラ訪問である。しかし、この季節感は日本のものであり、いずれの時も現地の気温は30度を越えていた。夏に行った時は丁度台風の子供に遭遇できた。雨と風は子供レベルであるが、やがて日本の近くまで旅して大人になる。この大人の台風が昨年は二桁も日本に上陸し、被害を与えた。今回、マニラで気付いたことは車の数が増えたことと、排気ガスが町中に充満し、町中を歩くと喉や目が痛くなるのを感じたことである。1970年代に日本で「光化学スモッグ」や「公害」などという言葉が盛んに使われていたころの記憶が甦る。今回もラサール大学のAnthony SF Chiu教授に会ったが、今回の彼は第6回APIEMSの組織委員会委員長という重責を担っていた。彼の研究分野は環境管理であり、彼の発案で今回のAPIEMSでは300人近い環境管理を学ぶ学生を特別講演会に招待していた。若い人の環境管理への関心を引き出すために国際的研究の最先端の場に学生を引き出すという彼独特のアイデアと意気込みが感じられた。しかし、30年を隔てて東アジアの国々が「公害」から「環境問題」という言葉は変化したものの同じ問題を繰り返し経験することは、仕方ないことなのか?複雑な思いにとらわれた。知識時代と言われる今日、世界の知識が人類の幸福のために共有できることを目指した時代であるはずなのに、過去の隣国での過ちの学習から得られた知識により、人間が作り出す原因で生じる災害を未然防止できるようになるために何が欠けているのか。確かに日本では「公害」という用語が社会的災害であるのに対し、「環境問題」は個々人の生活一般によって引き起こされるとされる災害という違いを区別するような問題認識になって来た一面で、公害訴訟判決が最近になって結審するようなニュースを見聞きするとき、公害防止技術は新たな公害を増加させないという解決法に止まり、環境という具体的対象の不明確なものに対する影響への未配慮と技術の未熟さから生じてしまった災害の損害や損失の評価とその解決法に関する問題を含めた本当の公害問題の解決策はまだ出ていないということではないか。

帰国して家族と話をしていたら、出張中に金沢で初雪が降ったと聞いて驚いた。金沢に来て20年を越すが、12月に金沢で雪が得るのは珍しい。金沢に来て最初の正月に市内で1mの積雪があり、雪国に来た実感をひしひしと感じたが、その際も12月には雪は降らなかった?と記憶する。寒いより暑い方が我慢できる体質なので、寒さは大きな問題である。ここ数年の気候変化に象徴される自然現象を身近に感じる時、公害問題を技術的に解決する方法を世界で真っ先に開発した日本が、明治以前まで持っていた自然環境との共生の精神・心をセットとした環境管理システムを構築し、世界に発信するためにアジアの人々と知識共有することが「和魂洋才」から「和魂和才」に回帰する1つの選択肢ではないか、と金沢とマニラの地理的ギャップと東京・金沢での30年の時間的ギャップを重ねながら、明治以降の日本の課題を環境問題に重ねてみた。酉年を終え、戌年を迎えるに当たり雪の多い戌年になる可能性を危惧する。

先頭へ