コラム KAZU'S VIEW
2005年09月
大長今(テ・ジャングム)私観
ここ数年、韓国テレビドラマが日本で人気である。冬ソナがきっかで韓流ブームが日本のオバチャマに支えられ隆盛を極めた感がある。最近の韓国テレビドラマで気になるものに「宮廷女官チャングムの誓い;原題:大長今=偉大なるジャングム(名前だけの発音の場合はチャングム)」がある。もう、何回か再放送になっているが、その度に見てしまう。どうしてなのか?子役の印象から韓国版「おしん」のような気もするが、16世紀に韓国に実在した女性を通して男性の脚本家の男性へのメッセージを感じる。ドラマの舞台は朝鮮史上最も長く500年余り(1392〜1910)続いた朝鮮王朝中期の王宮である。王の食事調理係りである水剌間(スラッカン)の宮廷女官の最高責任者である最高尚宮(チェゴサングン)を目指していた母親が王族の政争に巻き込まれ毒殺されそうになるが、親友の機転で一命を取り留めるも、料理の才をもって競うべき料理人の世界に政争が持ち込まれたことに対する母親の無念を晴らすためにスラッカンのチェゴサングンとなることを宿命づけられるチャングムというヒロインの人生航路がストーリーである。見習いとして幼くして宮廷に入り、やがて母親の親友であったハン尚宮(サングン)を師として料理の心と技術を学ぶ。一時はハン・サングンがチェゴサングンになる状況まで行くが、母親と同様に政変に巻き込まれ、身分を剥奪された上で宮中を追放され済州島(チェジュド)に流される。その途中、師であるハン・チェゴサングンの死に直面する。当時の身分制度は儒教を精神基盤として、王、両班(ヤンバン)、中人、良人、賎民と大きく5つに階層化された厳格な身分階層から構成されていた。ヒロインは王宮生活と最も離れた賎民の中の「奴婢:ヌヒ」の身分的距離と流刑地という直線で約400Km離れた地理的距離に目標達成を阻まれる。チャングムの宿命とそれを積極的に受け止め、必死に生きようとする姿が感動を呼ぶのかもしれない。ストーリーは前半はスラッカンを場とした「食」をテーマに、後半は医女制度を基にした医療の場を通じた「医食同源」、「薬食同源」をテーマにしている。この時代は身分格差に男女格差が重なり医師は男性のみであり、男性が女性の医療に携わることが道徳的視点から制限されていた。そこで朝鮮王朝第3代王太宗が女性に医術を習得させ、女性の手で女性の医療サービスを提供するシステムとしてヌヒの女性を医女(医者兼看護師の職能)として育成したものが医女制度らしい。身分的に最下層のヌヒがこの業務を担当した背景には人の肌に触れる行為そのものが道徳的に卑しい行為とされた価値観が背景にある。この制度によって男性医師が上層階級の医療サービスを行うのに対し、医女が下層階級の医療サービスを行う当時としては先端的な医療サービスが行われていたようだ。この医女制度の下では能力主義が成立し、医療技能に優れた医女はヌヒという身分格差を超えて王族女性への医療サービス提供の機会が与えられた。これがチャングムの王宮復帰の道を残し、ストーリーが継続性を持つことになる。チャングムはこの機会を活用し、持ち前の積極性と行動力で「仮説→検証」サイクルの積み重ねによって次々と新しい医療技術の開発と当時の大多数であった最下層の人々への医療サービス、公衆衛生啓蒙活動を通じて医療サービスの心技体の完成度を高め、心の価値創造力を向上していく。その結果、当時の男尊女卑制度そのものを変革する象徴的な意味で国王の主治医まで上り詰める。そして、国王から女性として愛されるというおまけがつく。 チャングムの航海には2つの嵐があった。いずれも既得権益集団相手であるが、1つはチェ一族に象徴される経済権益集団であり、もう1つは儒教思想に基づく身分、男女性差別下における社会権益集団である。そしてその舞台は我々の生活における基本となる健康における医食同源を通じた心の価値創造になっている。現代日本が物と経済的豊かさの中での長寿社会でありながら心の病を多く持つ社会であることを直視すると、「人の体調を気遣い、美味しくその人にとって心地よいものを提供する行いであれば、たとえ、それが水であっても料理になる。」というハンサングンのチャングムへの諭しと自分を信じ、信じたことにひたむきなチャングムの生き方は、物の価値は心の価値によりその価値を飛躍的に高めるという意味で今の日本への諭しとして受け取るべきではないか。