コラム KAZU'S VIEW

2021 年05月

日本人の中国観について

  ウイグル自治区,香港そして台湾が世界的なニュース(注1)トピックになっている.また,嫦娥(ジョウガ)5号が2020年12月に月のサンプルを持ち帰り,2021年5月に火星探査機「天問1号」が無事火星に着陸し,宇宙ステーション建設用機材を搬送した長征5号Bの残骸が大気圏で燃え尽きず,インド洋沖に落下する(日本時間5月9日昼)などのニュースも話題になっている.宇宙開発の成果も著しい中国が,今,世界の注目を集めている.日本人にとっては,そのような話題より,東シナ海の尖閣諸島問題(注2)が領土問題として身近な話題であろう.このような話題は,必ずしも喜ばしいものではないと思う日本人は多いのではないか.日本人の中国観は時と共に大きく変化しているように思う.その変遷を振りかえり,今後の中国観について考えてみた.

多分,16世紀頃までは日本人の世界観で中心的位置を占めた国は,中国(中華)であったろう.その背景には,文化,文明の先端的なモノは,ほとんど日本海を渡って中国から日本に伝来して来たという歴史的背景がある.その象徴は遣隋使や遣唐使に見られる留学制度であった.当時の世界最先端は,中国王朝の隋(581-618年)や唐(618-907年)であり,日本の俊英が現地で学び,これを日本に持ち帰り,国内に展開した.仏教という哲学的理論を持った思考法や文字としての漢字,そして社会制度としての律令は,今日の日本に文化的遺産として命脈を保っている.日本人は戦国時代を境にその世界観を大きく変えたのではないか.この時を境に日本人の目は,中国(東アジア)からヨーロッパを含めたより広い世界観へと拡大する[3].その背景にはフィリップ2世[4]などの世界戦略の影響がある.この時点で,キリスト教と鉄砲の存在が東アジアの国々にヨーロッパの存在を強く認識させることになる.この流れが一旦途絶え,明治時代に再び回帰することになる.この断絶は17世紀から19世紀に渡る300年の鎖国制度によるものであるが,この断絶の期間は,日本独自の文化である浮世絵やからくりなどの世界的文化を生み出した特徴的時代ともいえる(注3).この断絶の期間が終わりをつげ,文明開化の名の下に,ヨーロッパを理想モデルとした文化,文明思想へと日本人の意識変革の揺り戻しのきっかけを作ったのが,当時の東アジアの盟主であった清朝(1644-1912年)末期のアヘン戦争(1840-42年:注4)であろう.これを皮切りに,ヨーロッパ列強による中国分割支配が加速する帝国主義時代[6]という世界の流れに日本が便乗することになる(注5).

今から20年ほど前に中国の技術系政治家の存在と科学技術の国家構築への組込み方に一種の感動を覚えた記憶がある.2000年8月と2002年5月に北京を訪れたが,そのいずれかで体験であった.ITとマネジメントをテーマにした国際会議での基調講演を当時国家主席をしていた江沢民(こうたくみん,チャン・ツェーミン)が行った.なぜ,ITをテーマにした技術関連の会議に国家主席が来るのか,疑問に思ったが,彼の講演の中でその疑問が晴れた.彼は,上海交通大学で電子工学を専攻したエンジニアであることを指導教官とのやり取りのエピソードをユーモアを交えながら語っていた.また,政治家として中国では多くの技術畑出身者が活躍していることが今の中国の政治の特長であることも力説していた.その会議期間中に日本の学術会議に当たる会議が開催され,その後に懇親会があった.たまたま,会議を運営していた友人から誘いを受け,出席した席で,今中国が国家を上げて最も重点をおいている科学技術分野についての議論があった[7].そこでは脳科学,ITそして社会システムの3分野が上がっていた.なぜ,社会システムか?という疑問を持った.中国の政治経済システムは政治体制として共産党一党支配の下での社会主義国の下で,競争市場を基本とする自由経済体制を採用するという人類史上経験のない実験を行っている.このような国家的実験を進めるためには社会システムのための科学技術を創出していく必要がある,と彼らは認識していたのかもしれない.これに対し,2009年9月に技術畑出身の鳩山内閣が成立した時は,大いに期待したが[8],菅 直人(カン ナオト)第2次改造内閣(2011年1-9月)での東北地方太平洋沖地震での混乱がその期待を打ち壊してしまった.この時点で日中間の政治的格差が明らかになったような気がした.今,考えて見れば,21世紀に入った最初の10年間で現在の日中格差が予想できていたのではないかと思われる.GDPの世界ランキングで二位の座を42年間維持してきた日本が,中国にその席を譲ったのは2010年であった.
 
明治時代以降の日中関係は,それ以前とはかなり異なる.アジアとヨーロッパの関係が日本の戦国時代以降から緊密になってきた過程で,それまでアジアの盟主国として存在していた中国が,そのリーダーシップを失った.その一方で,西欧列強の植民地支配の対象としてアジア諸国が位置づけられる世界体制の枠組みが構築され,その中で,日中2国間の関係形成が行われた時代であった.その中で,中国はヨーロッパ諸国の最も魅力的な対象であった.その魅力の中心は経済的価値の充足にあった.第2次世界大戦の引き金となった世界大恐慌(1929-32年)は,日本を含め西欧列強国の上記中国観を更に強めたのではないか.これが日中戦争(1937-45年)を引き起こし,今日の多くの日本人の持つ中国観を形成していると思われる.日中国交回復は,1972年まで待つことになる.1992年に上海交通大学を訪ねた際,教授宅に招かれ,夕食を共にした.その時の会話の中で,彼の出身が大連であったこと,子供のころ日本兵が大連にやって来て,家族に暴力を振るったことを見て,日本人に恐怖心を持っていることを話してくれた.今は無き,父親に昔,満州に兵隊として行ったことの話を幾度か聞いた事があったが,教授の話を聞いて,素直に悲しさは感じた.今年になって,中国TV歴史ドラマを良く見る.秦(紀元前905-206年),隋,唐や明(1368-1644年)の時代を背景とした王朝モノである.登場する名前に中国史を聞きかじった懐かしさも加わり,中国人の感じ方や価値感に共感を持つ事も多々ある.1930-40年にかけて,日中間にどのような事があったのか,歴史では学ぶことは少ない.しかし,この時期の出来事が今日の日本人の中国観に多くの影響をおよぼしていることは確かではないないか.この時代を今の日本人が正しく知ることで,これからの日中間の関係形成に新たな変化が出てくる可能性はないだろうか?

(注1)中国政府による弾圧行動の象徴的なニュースとして世界的に報道されている.民主主義と社会主義の衝突とする側面で報道されている.2010年以来,世界のGDPランキングで2位を維持し続ける中国がその経済力と共に,政治力および軍事力を増強する中で,国際的な中国脅威論が出てきている[1].
(注2)日本が沖縄県石垣市登野城尖閣として実効支配する尖閣諸島に対し,1970年代から台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)が領有権を主張している問題[2].
(注3)世界的レベルで地産地消を実践したのが鎖国という制度で社会運営した江戸時代であったと考えられる.一方,外圧(欧米列強国)により,鎖国を打破され,グローバル世界に突如として直面した幕末期の混乱の中で,日本の生き残り戦略は「和魂洋才」思想になる[5].この思想は,危機脱出の一方策で,やがては和魂和才への回帰を当時の我々の先達は考えていたのではないか.
(注4)当時,ヨーロッパと清との間の貿易は清朝政府の貿易特許を得た者だけに対し,広東港のみで許されていた.その中で,イギリス東インド会社が最も貿易量が多かった.しかし,収支関係は東インド会社側の輸入過多状況だった.そこで,東インド会社はインドのベンガル阿片を輸出品として利用しようとしたが,当時,清朝政府は阿片貿易を禁止していた.しかし,密貿易により阿片貿易は拡大し,イギリスの最大の輸出アイテムになり,これによって英清間の貿易収支は逆転する.1834年にイギリス東インド会社の対中国貿易特許は失効し,その後は個人貿易商に交易が委ねられた.その後,清政府は阿片貿易の取締強化をはかった.この取締強化が武力紛争に拡大し,清英2国間の戦争状況が始まった.この戦争は清の敗戦で終結したが,清は香港をイギリスに割譲することになった.この戦後処理が,今日の香港問題へと続いている.
(注5)日清戦争(1894-1895年)により,日本は台湾,澎湖諸島,遼東半島を清に割譲させた.しかし,その後,三国(フランス,ドイツ,ロシア)干渉により,日本は遼東半島を清に返還した.さらに,第1次世界大戦に際し,日本は連合国側として参戦し,当時の中華民国の袁世凱政権に21か条の要求を行い,ドイツ帝国が山東省に持っていた権益や関東州の租借期限延長,南満州鉄道の権益期限延長を得ている.そして,満州事変(1931年)を経て満州国(1932-45年)建国により中国への進出を拡大していった.

参考文献・資料
[1] 中西輝政,帝国としての中国(新版)覇権の論理と現実, 東洋経済新報社(2013)
[2] 外務省,日本の領土をめぐる情勢-尖閣諸島-,
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html,2021年5月22日アクセス
[3] 村井章介,富と野望の外交戦略 : なぜ,大航海時代に戦国の世は統一されたのか:戦国, NHK出版(2013)
[4] 立石博高, フェリペ2世:スペイン帝国のカトリック王, 山川出版社(2020)
[5] 石井和克,2003年09月「和魂和才」,
https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=1, 2021年5月22日アクセス
[6] 中西 治,グローバリゼーション・エンパイア・インペリアリズム:アメリカ合衆国は帝国か,その政策は帝国主義かSociologica(佐々木交賢・松本和良両教授退任記念論集),第29巻1・2,創価大学,81-107(2005)http://hdl.handle.net/10911/2452
[7] 石井和克, 2009年8月「上海は40年前の日本の勢いと先端技術の混在する不思議な空間だった」, https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=72,
2021年5月22日アクセス
[8] 石井和克, 2009年9月「鳩山政権の可能性」,https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=73, 2021年5月22日アクセス

以上
令和3年5月

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