コラム KAZU'S VIEW

2005年05月

宍道湖の夕日

ゴールデンウイークは友人と島根県を旅した。きかっけは友人と飲んだときの話題で友人の出身が島根県であることを知り、私のお世話になった方がやはり島根県の出身であるが、すでに亡くなっておられ一度お墓参りに行きたいという私の思いに応じた形でこの旅行の企画が決定した。途中、大山の雪景色を楽しむことができた。その日の夕方に念願の恩人のお墓参りを済ますことが出来た。恩人の実家は作り酒屋でお墓はその家の裏手にある小高い山の墓石群の一番上にあった。丁度夕日が沈みかけるタイミングであった。在りし日の恩人の華やかな活躍の後の何となくわびしい没後の様子と夕日が重なり合った。

翌日は出雲大社に出かけた。30年程前の学生時代に一度訪ねたことがあったが、改めて社の雄大さに感動した。時の流れとともの古代の人々の思いに触れた気がした。友人から大社前に歌手の竹内まりやさんの実家があることを聞いた。彼女のご主人は山下達郎氏であり、お2人で活躍されている。話題は変わるが、出雲は踏鞴(鑪:たたら)鉄でも有名なところである。踏鞴鉄は奈良時代の渡来人が砂鉄を基に多くの炭を使って鞴(ふいご)を主要設備とした製鉄法により作られる鉄であり、中国地域で盛んに行われたとされる。

「石川ブランド創生」(パート2)-九谷焼の価値は200年オーダー価値-」で紹介した宮大工棟梁の西岡常一氏もこの踏鞴鉄について触れていた。また、宮崎駿監督の「もののけ姫」にも出てきている。鉄は人類に大きな変化を与えた。それは、装飾品から始まりやがて武器として大きな変革を与えた。鉄の武器を人類が手にしてから戦死者の数は幾何級数的に増加したといわれる。反面、鉄が我々人類の生活を豊かにしたのは釘などの補助的存在は除くと、西洋式製鉄法により鉄が量産可能となった19世紀以降ではないか。鉄製の建築物や土木構造物が出て来たことであろう。たたら製鉄の最盛期は幕末から明治初期にかけてとされるので、製鉄法の和式と洋式が明治維新前後で共に日本という場で絶頂期を迎えるが、たたら鉄はその後衰退する。この鉄は物的価値の代表であろう。一方、出雲といえば、「出雲の阿国」が出雲大社についで日本人になじみのものであろう。阿国といえば「歌舞伎」というエンターテイメントの創始者とも云われる「傾(かぶ)き者」の代表者でもある。17世紀の初め、関ヶ原の戦があった頃、当時の先端文化であった「南蛮文化」の服装や行動様式を取り込んだ「先端人間(傾き者)」だった。ここに日本人のエンターテイメントの原点の1つを見ることができる。これは出雲大社に祀られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ、だいこくさま)が、その国を預けた天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた際に、岩戸からのお出ましを願って行われたわが国最初の国家的エンターテイメントショーにも通ずるものであり、心的価値の代表とも思える。

その夜は宍道湖畔で友人と夕食を楽しんだ。丁度窓から宍道湖対岸の山の端に沈みかける夕日を眺めることができた。淡いオレンジ色の光が静かな湖面に輝きながら去り行く太陽に、天照大神と阿国という日本を代表する女性の残した心的価値と大国主大神が作った国に形成された踏鞴鉄の文明が残した物的価値を重ねながら、千年前は日本の表日本であった日本海側の東にある金沢に思いを馳せる時間を楽しむことができた。

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