コラム KAZU'S VIEW

2020年10月

人類にとっての遺産の意味を考える

日本ジオパーク委員会[1]は,「白山手取川(ハクサンテドリガワ)ジオパーク」を世界ジオパークの認定を得るための準備段階である国内候補地として,国連教育科学文化機関(ユネスコ:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization:UNESCO)に正式に推薦することを10月21日に正式に決定した.ジオパークとは,地球の活動が分かる貴重な地形や地質が保全,活用されている地域を意味する言葉である[2].現在,日本の世界ジオパークは9カ所ある.洞爺湖有珠山,アポイ岳(北海道),糸魚川(新潟),伊豆半島(静岡),山陰海岸(京都・兵庫・鳥取),隠岐(島根),室戸(高知),阿蘇(熊本)そして島原半島(長崎)である.ジオパーク活動は1990年代,ドイツの地質学者が提案し,2001年ユネスコの非公式プロジェクトになった.その後,2004 年にはユネスコの支援のもとGlobal Geoparks Network:GGN [3]が設立され,その事務局がパリのユネスコ本部と北京に置かれた.日本がこれに加盟したのは2008年である[2,4].日本ジオパーク委員会から出された世界ジオパーク認定への白山手取川ジオパークの推薦内容の一部を抜粋すると,次のようになっている.「中生代白亜紀における多様な生物の進化の手がかりとなる桑島化石壁(クワジマカセキカベ)[5]など国際的に重要な地質遺産があり,侵食,運搬,堆積の作用が盛んな手取川流域の地形や環境の変化を考えることができる地域である」.白亜紀は1億4500万年前から6600万年前までの中生代最後の紀とされ[6],その末期にはユカタン半島およびメキシコ湾に巨大隕石が落下したことで気候変動が起き,多種類の生物が同時に絶滅(大量絶滅)したとされる.また,桑島化石壁は1億5000〜3000万年前の化石層で,日本で最初の古生物学論文は化石壁産出化石に関する内容であったことから(注1),日本の地質学発祥の地とも呼ばれている[7].手取湖(手取川ダム建設によって生じた人工湖)の最上流側の斜面にある.1957(昭和32)年に国の天然記念物「手取川流域の珪化木産地」とされた1部としてひっそりと目立たない場所にある.トンネル内に照明のない真っ暗な闇をくぐって出た所の手取川側にあり,道路からは見えないので見過ごしてしまうようなところである.手取川ダム建設に当たっては1975〜77(昭和50〜52)年に手取川流域一体の遺跡発掘作業が行われ,多くの化石群が収集,分析され保管,展示されている.その中には,この地域の名称にちなんだ古代生物の化石が発見されている.クワジマーラ・カガエンシスというトカゲの祖先やモンチリクタス・クワジマエンシスという哺乳類(単弓類)などである.

 世界ジオパークと同様に地球的規模の遺産の保全,継承を行う活動に世界遺産(World Heritage Site)[8]がある.優れた自然や文化遺産を人類全体の遺産として保護することが目的の活動である.1972年のユネスコ総会で,採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産一覧表に登録された,文化財,景観,自然など,人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで,移動が不可能な不動産が対象となっている.現在,日本の世界遺産としては23件が登録されている[8].この世界遺産の誕生をテーマとしたTV番組を見た[9].再放送版であったが,その中でエジプトのアブ・シンベル神殿の移設プロジェクトが取り上げられていた.このプロジェクトの背景には1960年代,ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設が計画された際に,多くのエジプト古代遺跡がダム湖に水没する危機があった.この危機に対し,ユネスコが中心となって国際的な救済活動が行われた.この神殿群は3000年前のエジプト新王国時代第19王朝の王,ラムセス2世(Ramesses II)が建造主とされている.太陽神ラーを祭る大神殿とハトホル女神を祭る小神殿からなる総重量25万トンにおよぶ一枚岩の構造物であった.このプロジェクトではまず,巨大遺跡の移動法に関するアイデアが世界中から募集され,遺跡の保存状態維持と経済性の観点で遺跡の分割・搬送・組立によるスウェーデン案が採択された.このアイデア実現に関し,3人の人物が登場した.遺跡の分割を担当したスウェーデン技術者ヨータス・パッション,組立を担当したメドハド・イブラヒム,そして資金調達を担当したエジプト文化大臣サルトワ・オカーシャであった.遺跡の移設は1964年から1968年の間に行われ,世界中から二千人におよぶ技術者が集まり無事完了し,アスワン・ハイ・ダム建設によってできた人造湖,ナセル湖のほとりに現在のアブ・シンベル神殿がそびえている.このプロジェクトに要する費用は,当時の金額で140億円と言われている.この資金捻出にはサルトワの手腕とユニークなアイデアがあった.当時は東西冷戦時代であり,エジプトは東陣営とされていた.東陣営のソ連からはアスワン・ハイ・ダム建設資金の支援を理由に断られたため,彼は西側陣営にアプローチをした.まず,アメリカで1961年にツタンカーメン展を開催し,それまで門外不出であった遺品を海外で展示することを通じて古代エジプト文化の認知アピールと資金支援を引き出した.次いで,1965年,日本でツタンカーメンの黄金のマスク展を開催し,290万人を超える観客動員数記録を打ち立てた.この記錄は未だに破られていない.また,彼は資金援助の見返りに,遺跡発掘調査参加や発掘資料の一部持ち帰り等の許可を出すことで最終的に100億円近い資金を世界から集めた.その上で,残り資金を当時のナセル(Gamal Abdel Nasser)大統領と交渉し,エジプト政府が支出することで資金問題を解決した.彼のこの行動は,アブ・シンベル神殿に限らず,世界各地の文化,自然遺産保護の動きを世界に働きかける原動力となり,1972年の世界遺産条約締結へと繋がった.その後,1979年にアブ・シンベル宮殿は世界遺産に認定された.

世界ジオパークと世界遺産を比較してみると,以下の様な違いが見られる[2,10].
(1)世界遺産には,世界遺産条約があるが,世界ジオパークには条約はない.なお,日本は1992 年に世界遺産条約を批准している.
(2)世界遺産条約は,顕著な普遍的価値をもつ自然・文化遺産を,将来に継承するために保全することが目的で,登録された遺産については国として保全する義務が生ずる.一方,世界ジオパークは,保全と両立する活用を含む.すなわち,地域の自然遺産を保全しながら教育・普及とジオツーリズムに活用して地域の遺産を生かした持続的な地域の発展を目的としている.
さらに,世界ジオパークは,保全の主体は国だけでなく地域社会を重視している.
世界遺産やジオパークの価値とはなんであるのか.それぞれの認定にはそれぞれの基準がある.しかし,その客観性についてはあまり明瞭さが見いだせない[11,12].そもそも価値観に客観性を求めること自体がナンセンスなのかもしれない.主観性と共感性の世界と思われる.

世界遺産と世界ジオパークの2つの事例を通じて感じたことは,2つの事例ともにダムという人工的な構造物の建設に伴う出来事と深い関係があった.2つの遺跡は,いずれもその姿を人造湖とともに見いだせる.その対象は,自然物と人工物の違いはあるが,その遺跡が見るも者に何を語りかけるのであろうか.唯物的に見れば単なる石や岩の塊であるが,そこに関わった人の話が加わると,突然身近に感じ, 時間的スケールで見ると数億年と数千年の違いがあるものの,その時間を超越してそれぞれの空間をイメージできる.その空間に自らを置き,数千年前のファラオや石切職人の顔や行動を描く.見たことも聞いたこともない姿や声の動物が人間のいない世界を動き回る様子を妄想する.そんな自分の世界を自由に作り出せる場を,同じ時間,場所を共有出来ない今を生きている我々に与えてくれるのが,世界遺産であり,世界ジオパークの価値のように思われる.これを次の世代に引き継ぐ責務を今,生きている世代が担うことが,これらの活動の意義ではないか.紅葉し始めた木々と落ち葉,そして吹き渡る風の音が妄想の世界のリアリテイーさを高めてくれていたような気がした.

(注1)桑島化石壁は1874年に当時の明治政府の依頼でプロイセン(ドイツ)政府より派遣され,日本の地質調査を行ったライン博士(Johannes Justus Rein)が当地で古代植物化石を発掘し,友人の地質学者であるガイラー博士(Hermann Theodor Geyler)がその化石を分析し,ジュラ紀中期の植物であることを明らかにし,論文発表した.この論文を見たナウマン博士(Heinrich Edmund Naumann)が,弟子であった小藤文治郎(コトウ ブンジロウ)に当地を調査させ,その調査結果を「石川県加賀国手取川近傍地質概則」という報告書にまとめた.この報告書は日本語で書かれた最初の地質調査書と言われている.

参考資料・文献
[1] 日本ジオパーク委員会, https://jgc.geopark.jp/ ,2020年10月21日アクセス
[2] 渡辺真人,世界ジオパークネットワークと日本のジオパーク, 地学雑誌,第 120卷第5号,pp733–742(2011)
[3] Global Geoparks Network  http://globalgeoparksnetwork.org/,2020年10月22日アクセス
[4] 日本ジオパークネットワーク, https://geopark.jp/ ,2020年10月21日アクセス
[5] 石川県白山自然保護センター,白山の自然30:桑島化石壁(2010年3月), https://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/documents/sizen30_1.pdf
2020年10月22日アクセス
[6] 国際層序委員会,国際年代層序表, https://stratigraphy.org/chart ,2020年10月23日アクセス
[7] 白山手取川ジオパーク推進協議会, 白山手取川ジオパーク,https://hakusan-geo.jp/council/ ,2020年10月22日アクセス
[8] ユネスコ世界遺産センター,世界遺産,https://whc.unesco.org/en/about/,2020年10月22日アクセス
[9] NHK, BSプレミアウムアナザーストーリーズ:巨大遺跡“引っ越し”大作戦〜エジプト アブ・シンベル神殿〜,2020年10月13日放送
[10] 林野庁,ジオパークと世界遺産(資料5)
https://www.rinya.maff.go.jp/j/sin_riyou/sekaiisan/pdf/4shiryo5.pdf, ,2020年10月22日アクセス
[11] 尾池和夫,加藤碵一,渡辺真人,日本のジオパーク.ナカニシヤ出版(2011)
[12] 西村幸夫,本中眞編, 世界文化遺産の思想,東京大学出版会(2017)
以上
令和2年10月

先頭へ