コラム KAZU'S VIEW

2020年09月

今,改めて“哲学する”の意味を考える

コロナ禍での2回目の学期が始まろうとしている.前学期はこれまでに無い環境下で何とか授業を済ませて来た.リモート学習という学習形態は,放送大学という大学が1983年から既に37年の歴史を持っている現状を見る限り,それほど目新しい事でも無い.講義の様子をビデオで取って教材としてネットで流す程度のことは時代遅れだ.感染の不安を抱えたまま対面授業をしても相互啓発の学習効果に期待が持てない.対面を避け,一方通行の授業ではなく,ライブ感のある相方向の授業をどう創るのか?を考えてはいるものの,メールやZoom程度のアイデアしか出てこず,なかなか結論が見いだせない.改めて,「学ぶとは何か?」を考える機会を持てた.ひときわ厳しい酷暑だったこの夏の中で,改めて学ぶことの意味を考えるきっかけが,「陰陽師(オンミョウジ)」,「妖怪博士」そして「現象学」というキーワードであった.

「陰陽師」と「妖怪博士」は,いずれもTV番組で取上げていた安倍晴明(アベノ セイメイ:921-1005年)と井上円了(イノウエ エンリョウ:1858-1919年)の2人に関係している.
陰陽師とは,我が国で6世紀頃から遣唐使などが持ち帰った中国の陰陽五行思想や文献を基に,陰陽道(オンミョウドウ/オンヨウドウ)と言われる技術体系(占術,祭礼,天文,暦)を国家統治のための律令制運用の基礎として利用するための官僚組織である陰陽寮(オンヨウリョウ/オンヨウノツカサ)所属の技術官僚である[1].日本最初の陰陽師は,第9次遣唐使として唐に18年間(717-734年)留学した吉備真備(キビ ノ マキビ)と言われている[2].その陰陽寮に所属していた専門技術者は,陰陽師や陰陽博士(オンミョウハカセ:陰陽師の教育係)などと呼ばれていた[1].平安時代に入ると,宮廷陰陽道として朝廷や貴族のコンサルテーション業務にも応じるようになった.安倍晴明は,藤原道長(966-1028年)のスタッフとして個人的問題のコンサルも多かったようである[2].陰陽道は,その後,賀茂(カモ)と阿倍の両氏が家職として独占することになるが,そのきっかけは賀茂保憲(ヤスノリ)の時に,その息子である賀茂光栄(ミツヨシ)に曆道を,弟子であった清明に天文道をそれぞれに譲ったことから両氏の分担が決まったとされる[2].しかし,賀茂家は室町中期に勘解田小路(カデノコウジ)家と名を変えたが,一時断絶した.一方,阿倍家は南北朝時代に土御門(ツチミカド)家に名前を変え,江戸時代に入り,土御門兵部少輔泰福(ツチミカド ヒョウブショウフ  ヤストミ)が陰陽道を神道(土御門神道)としてリニューアルし,陰陽道の命脈を繋いだ.なお,この陰陽寮は第40代天武天皇(在位:673-686年)が設置し,1869(明治2)年まで千年以上続いたことになる.

井上円了は仏教哲学者,妖怪学の祖,「妖怪博士」など多くの名前を持つ人物であるが,現東洋大学の前身である「哲学館(テツガクカン)」の創設者でもある.彼の学問に対する思想は,「哲学する」こととは,「先入観や偏見にとらわれず,物事の本質に迫って,自らの問題として深く考える事」ととらえ,そのプロセスで主体的に社会の課題に取り組むことの必要性を強調した点に特色を見いだせる.そのための学問として,多様な視点を育てる「哲学」を用いている[3],[4].哲学という日本語は,明治時代の学者,西周(ニシ アマネ)がフィロソフィー(philosophy)に対する訳語として用いたものである.広辞苑第5版には「哲学とは愛知(智)の意」となっている.20世紀の神学者ジャン・ルクレール(Jean Leclercq)によれば,フィロソフィーに対応する古典ギリシャ語のフィロソフィア(philosophia)とは,理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指すとしている[5],という.また,「よく生きようとする努力と結合した人間的,神的事柄に関する認識である」という解説もある[6].円了は,文明開化の当時の日本で,社会で生じている問題は,人の「迷心」から発している.従って,この迷心を払拭し,「安心」へと導くことで解決が図られると考えた[3].そして,世の中の森羅万象は全てが不可思議,不可知的であるとし,これを「妖怪(ヨウカイ)」と呼んだ.そして,この妖怪を文献調査とフィールドワークに基づき,以下のような分類を行った.すなわち,当時の科学では解明できない妖怪を「真怪」,自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」,誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれる妖怪を「誤怪」,人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類した.彼のフィールドワークによると,当時の妖怪は,半分が偽怪,3割が誤怪,2割が仮怪だったとしている[3].そして,これら偽怪,誤怪および仮怪は科学的に説明ができるとし,残る真怪の研究によって宇宙絶対の秘密(真理)が理解できるとした.また,仮怪は物理的妖怪と心理的妖怪に分かれ,仮怪を研究することは自然科学を解明することであると位置づけ,真怪の追求こそが哲学の求めるテーマであると考えていたようである.彼が取り組んだ妖怪の中で著名なもとしては,いわゆる「弧狗狸・告理(コックリ)さん」(回転式テーブル:Table-turning)と言われる一種の占いと天狗論に関するものがある[3].コックリの解明は,回転するテーブルなどの装置(ハードウェア),手と装置間に生じる状況(インタ−フェース),潜在意識(予期意向)と不覚筋働(筋肉疲労等による不随運動)およびそれらに影響をおよぼす要因の要因群(ヒューマンファクター)を仮説として設定し,実験検証した.その検証結果から, 無意識の筋肉運動(不覚筋働)と潜在意識(予期意向)が主原因だと指摘した.円了が「妖怪」と呼んだ対象には,千年前に清明たち陰陽師が扱った霊,鬼や占いといったものが含まれている,これは,彼が文明開化を迎えた人々の生活世界に,この種の「迷心」が未だに残っていることへの警鐘であり,文明開化の真の意味は,当時の日本人1人1人が自ら哲学をすることで,迷心を払拭し,安心を得ることであることを示唆したものであろう.その環境整備として,彼は哲学館,哲学堂を作り,全国を巡って講演活動を行い,生涯学習の提言や通信教育の実践に取組んでいる.

 現象学は哲学的学問およびその方法論を意味するが,この言葉に出会ったのは,野中,山口共著の「直観の経営:「共感の哲学」で読み解く動態経営論」[7]であった.この本へのモチベーションは,タイトルの「共感」と言うキーワードであった.現在,私が関心を持っているテーマは,学習プロセスを「共感に基づく人間価値と社会価値の共創」として捉え,協同学習を通じて自己啓発と相互啓発による継続的知識創造を促進するための仕組み創りである.そのための仮説として,以下を設定している.すなわち,それぞれが異なる感性や価値観という自己を持ち合わせる個人が,他者と同じ感情と価値認識を持つという共感が,価値のより大きな共創を生み出す.このような認識の仕方の客観性をどのように構築したらよいか?のヒント探しをしていた最中であった.現象学の創設者とされるエトムント・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl:1859-1938年)は,元々,数学者であった.彼が直面した問題は,当時の第一次世界大戦の惨劇を前にして,最も知性のあるはずの人間が,どうしてこのような過ちを起こしたのか?であった[7].彼の解答は,生活世界に対して,全てのものが数式で解決できると思い込んでしまった人間の知性に対する妄信が根源である.すなわち,人は知性によって世界を主観と客観に分断し,客観主義か,主観主義かの二者択一に自らを無自覚の内に落とし込めてしまった.この原因究明に基づき,彼は新たな哲学として,「現象学」の提案をおこなったと言われる[7].その主な概念要素は,以下の3つになろう.すなわち,知識や経験に対する意味付け,価値付けを意味する「志向性」,人がその五感を通じて得た,ありのままの経験に立ち戻るという「現象学的還元」,そして,物や事象の存在認識としての自然科学以前の客観的な世界の成り立ちである「相互主観性」である.相互主観性とは,次のような事例で説明されている.生後4か月頃までの赤ちゃんは,自らの身体内部からくる感覚と外部から来る感覚の区別ができないと言われている.しかし,赤ちゃんと母親は,他の赤ちゃんが泣くことを自分が泣くこと受け止め泣くという「伝染泣き」(客観的認識以前の段階)をする以前から,母子間で心を通わせ,その中で玩具などの物を通じて客観的な事物の世界を2人の間で形成している[7].従って,物が仲介される中で形成される自然科学の前に,このプロセスがあることが,別々の世界を持つ個人間で心が動き,共感が生じることの可能性は説明できるとしている.山口[7]は,「フッサールとメルロ・ポンテイによれば『共感』とは,『自分と他者との区別がつく以前に,すなわち,自分の感覚と他者の感覚の区別がつく以前に,いわば1つの融合した身体の中で生じている感覚であり,その融合した身体において共有され,共に生きられている感覚である』とされます.」と説明している.

 陰陽師は千年前の先端的科学(天文学や暦学)を基礎に,霊や鬼などの妖怪という未知,無知の世界を相手にしてきた.そして,文明開花の時代に井上円了は,自然科学を基礎とした哲学をもって再び,妖怪を相手に挑戦をした.それから,100年以上の月日が経過した2020年,我々は「Withコロナ社会」という妖怪に挑戦しようとしている.千年以上の時間を掛けて知性というこれまでの妖怪に対する処方術の累積的学習効果は,Information and Communication(s) Technology:ICTやArtificial Intelligence: AIなどのデジタル技術と融合しつつ,迷心から安心への問題解決に適用されようとしている.人間がこれまで対面的(face to face)コミュニケーションで共感を伴う相互啓発により学習してきた方法はアナログ的側面が強かった.これは,現象学における相互主観性という概念要素が前提となろう.この共感性をデジタル技術と非対面的コミュニケーションで何処まで補完できるのか?また,知覚と知性,主観と客観という哲学における命題は,「Withコロナ社会構築」という社会的課題に「主体的」に取り組むためにどのような学びを我々個々に投げかけるのか?新たな真怪への挑戦の時ではないか.

参考資料・文献
[1] 詫間直樹,高田義人編著,陰陽道関係史料,汲古書院(2001)
[2] 志村有弘,陰陽師列伝—日本史の闇の血脈-,学習研究社(2000)
[3] 井上円了著,竹村牧男研修, 妖怪玄談, 大東出版社(2011)
[4] 東洋大学井上円了研究センター編著, 論集 井上円了,教育評論社 (2019)
[5] ジャン・ルクレール著,神崎忠昭,矢内義顕訳,修道院文化入門,知泉書館(2004)
[6] 岩村清太,ヨーロッパ中世の自由学芸と教育,知泉書館(2007)
[7] 野中郁次郎,山口一郎, 直観の経営:「共感の哲学」で読み解く動態経営論, KADOKAWA, (2019)
以上
令和2年9月

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