コラム KAZU'S VIEW
2020年08月
線香の香りを感じない不思議なお盆の体験
コロナ禍の鬱陶しい梅雨が明けた声を聞いたら,突然の猛暑が続く毎日.今年は,60代最後の誕生日を孫がリモート開催で祝ってくれた.大学の講義もリモート授業であっため,明確な区切りもなく,夏季休暇期間に入った.自宅という狭い空間で外部環境との接点がパソコン画面とTV程度しかない生活は,時の流れと周りの変化を実感しにくいものだと,しみじみ感じた1か月であった.本来,花火や夏祭り,そしてお盆と,寝苦しい夜を人と関わり合いながらエネルギー発散をし,心身共に開放感を得て,秋を迎える機会が8月だったような気がする.しかし,今年のようにその機能が十分活用できない経験は貴重なのかもしれない.何か,忘れ物をした夏のような気がする.
何気なく,TVのチャネルを回していると,BSテレビ番組で見たことのあるアングルの画像が目にとまった.それは,ロックミュージシャンがステージで歌い,踊る向かい側に広がる7万人を超える観衆の画面であった.記憶をたどるのに少々時間がかかったが,それは映画の場面だった.その映画の題名は,確か,イギリスのロックグループQueenのボーカリストFreddie Mercury(1946〜1991年)の生涯を描いた「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年11月公開)であった.その画面は,コロナ禍の現在では懐かしい3密の内の密接と密集満載のものであった.彼は,エイズ:AIDS(Acquired immune deficiency syndrome, 後天性免疫不全症候群,HIVウイルス感染症; Human Immunodeficiency Virus)で亡くなった.その追悼公演がエイズ基金の募金イベントとして企画され,1992年に実施されたたものの記録版の再放送であった.この公演には世界中からロックミュージシャンが集い,ステージングをしていた.その中で,記憶に残った楽曲は,Knockin' On Heaven's Doorという曲であった.作詞は, Bob Dylan(2016年ノーベル文学賞受賞)で1973年に映画「パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド」の挿入曲として作られたものだ.この詩が作られた時代背景には,ベトナム戦争でアメリカが史上初めての敗戦を味わった時であり,アメリカとしては何の得もない戦争に出兵した兵士達が,帰国後に様々な戦争時の残虐行為に対し,バッシングを受けたことによる様々な社会的問題が噴出していたことがあったとされる.その後,しばらくして,ナパーム弾(Napalm bomb)を生み出した有機化学の功罪についての番組を見る機会を得た.戦争というと,日本人の多くは太平洋戦争(1941−1945)を思い出す.この戦争で人類史上初めての原子爆弾が2度も我が国に落とされた.その原爆記念日も今年はコロナ禍で規模を縮小して行われた.しかし,この戦争で初めて使われたナパーム焼夷弾は,その後も朝鮮戦争(1950-1953),ベトナム戦争(-1975)にも使用され,原爆以上の無差別殺戮をもたらしたことを,この番組で初めて知った.この爆弾がベトナム戦争で使用された時,その悲惨さが,「戦争の恐怖」と題するは写真によって広く世界に伝えられた.この写真は1972年にピューリッツアー賞を受賞したことで,この爆弾の無差別性,残虐性が世界の非難を浴びることとなった.これを受けて,アメリカはナパーム弾をベトナム戦争後,使用を中止するとしたが,イラク戦争(2003)でも使用されたという疑念も持たれている.この兵器を作った人物とその経緯もこの番組で紹介されていた.開発者はハーバード大学教授ルイス・フィーザー(Louis Frederick Fieser :1899-1977)というドイツ生まれの有機化学研究者であった[1].彼は,大学時代はアメフト選手で優秀選手賞も得ていたという.抗がん剤,マラリア治療薬,ビタミンKなどを作り出し,ノーベル賞候補にも上がった人物でもあった.人を救う研究開発を目指していた人物が,軍の研究依頼を受けて燃料のゲル状化にヒントを得て,水では決して消えず,燃え続ける焼夷弾のアイデアを得た.ゲル化素材として大戦当時は,生ゴムが有望であった.しかし,日本軍が生ゴム生産地の東南アジアを占領したことで,アメリカは,これに代替する材料が必要になった.そこで,彼は増粘剤や界面活性剤として使用される長鎖脂肪酸に着目し,パルミチン酸アルミニュームを素材としてナフテン酸アルミニュウムの粉末化技術を開発し,この粉末をガソリンに混ぜることで,簡単かつ安価に作る方法を確立した.ナパームの名称はこの素材名に由来しているという.フィーザーは大戦直後にはアメリカ戦勝の功労者として賞賛されたが,ベトナム戦争後は「悪魔の兵器」の開発者として非難され,ハーバード大学も彼の業績の公開を拒んだとされる.
古来,日本には明確な特徴を持つ四季という自然環境があり,その環境で四季折々の伝統文化が各地域で形作られ,代々受け継がれて来ている.8月は先祖の御霊を弔うとともに時空間を共有するという「お盆」行事がある[2].また,直近の太平洋戦争の戦没者慰霊などの行事もあることから,御霊とのコミュニケーション手段として使用される,迎え火,送り火,線香,提灯といったものは伝統的な風物,風習になっている.コロナ禍でのこれら伝統行事の中止や人の移動の自粛は,今年の夏を,いつもと違う夏にしている.新型コロナウイルスは,肺炎や血栓症などの疾患への影響と共に,人の心への影響も与えてきている.春以降,鼻つまり症状が完治しない.症状の程度は軽めになって来ているが症状は繰り返している.そのせいか,この夏は線香の香りが身近になかったことも今年の夏の印象が薄い要因の1つのような気がする.
日本の首相が突然交代する事態が生じた.アメリカではこの11月に大統領選があり,選挙戦の候補者が出そろった.日米関係史を見る時,1853年のペリー来航まで遡ることになろう.これを契機に日本は開国した.当時,日本国内では日米開戦のシミュレーションが行われ,日本が焦土となることを筑前国福岡藩第11代藩主黒田長溥(クロダ ナガヒロ)が幕府に建白書として上申していたという[3].その92年後の1945年に全国の主要都市はほとんど焦土と化した.そして,太平洋戦争によって日本は再生の道をたどった.その後,75年の月日が経過した.日本では平和憲法の改憲の議論が出て来ている.アメリカは,その間,ベトナム戦争で初めての敗戦を経験し,その後遺症は長く,様々な面で残り続けた.America Firstもその1つの現れのような気がする.太平洋戦争で産み落とされたナパーム兵器は未だ生き残り,その製造・操作容易性および安価性からテロリストの道具になるリスクも増加している.世界各地で様々な争いの種がばらまかれている.人類みな兄弟,争いを止め,互いに仲良くするための努力と工夫をすることを多くの御霊が我々人類に課題提示するために新型コロナを差し向けているのではないか.香りのなかった今年のお盆は,コロナ禍の生活で蓄積された不満に対し,そんな問いかけを投げかけてきた.
参考資料・文献
[1] ロバート・M.ニーア著,田口俊樹訳,ナパーム空爆史 日本人をもっとも多く殺した兵器,太田出版 (2016)
[2] 石井和克,2019年8月コラム「今年のお盆はいつもと違った空間と時間を過ごした」
https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=193
[3] 岩下哲典,幕末日本の情報活動:「開国」の情報史(普及版),雄山閣(2018)
以上
令和2年8月