コラム KAZU'S VIEW

2020年01月

庚子の初夢は不確実性への対処法の一考察

庚子(カノエネ)の元旦は雨だった.昨年の正月は息子宅で迎えたが,今年は孫3人と金沢で迎えられた.雨ではあったが気温はそれほど低くなく,過ごしやすささえ感じた.平穏な正月を迎えられた事に感謝したい.年末から正月にかけてBS1の特集「欲望の資本主義」を見た.年末は2019〜偽りの個人主義を越えて〜,で,年始が2020〜日本・不確実性への挑戦〜であった.経済学の視点で現在の社会を分析的に描いていたように思う.リスクと不確実性,個人と社会,合理性の帰結としての今日の混沌(カオス),貨幣と投機・・・などなど.「資本主義は人間の欲望を増やすようにデザインされているのです.」,「何を達成したとしても,さらにその先を欲しがるだけなのです.これこそ資本主義だけではなく,1000年以上の人類の歴史における駆動力の正体なのです.」この番組は2017年からのシリーズ作のようでテーマは「人間の欲望」を掲げている[1].

 前野隆司(マエノ タカシ)慶應大教授は,「幸福学」を提唱されている[2],[3].元々理工系出身者で製品設計を企業で行い,その後,大学教員になったキャリアを持っている.「幸せの4つの因子」,やってみよう因子,ありがとう因子,なんとかなる因子,そしてあなたらしく因子を提案し,人が幸せになるためにどうしたら良いかを啓蒙している.この4因子は2010年代に日本人1500人に幸福に関するアンケート調査をした結果解析から導いた幸せモデルとも言うべきものである.彼が引用している経済学者のロバート.H.フランクは地位財と非地位財という区分を提唱している[4].地位財とは周囲との比較により満足を得るもので,所得や物財などがこれに当たる.一方,非物財とは他人との相対比較とは関係なく,幸せが得られるもので健康,自由や愛情などが相当する.前者は個人の進化や生存競争のために重要視され,後者は個人の安心,安全のために重要とされるとしている.また,地位財により得られる幸せは長続きしないが,非地位財によるものは長続きするとも指摘している.さらに,地位財の追求は「快楽のランニングマシン(Hedonic treadmill)」と言われる無限ループ過にはまると警鐘を鳴らしている. また,経済学者の安原和雄(ヤスハラ カズオ)氏は,「足を知る経済」を標榜しており,その拠り所を仏教においている[5].源信の往生要集や道元の正法眼蔵を引用し,「不知足の者は,富めりといえども,貧し.知足の人は貧しいといえども,富めり」という言葉に「少欲知足(欲を少なくし,足を知る心)」の思想を表現している.彼のメッセージは「貧欲の活力」から「少欲知足の活力」への転換である.ここでの貧力とは物欲,貨幣力に対する限りない私利私欲であり,少欲とは欲求の多少ではなく,世のため・人のための精神的欲求(非市場的・非貨幣的欲求)を意味している.これを元にさらに行動規範として「いただきます.」,「もったいない」,「お陰様で」の3つの言葉を象徴的に提起している.これらは前野の「ありがとう因子」と共通性を持つ.

2016年に惜しくも逝去された渡辺和子(ワタナベ カズコ)女史の著書[6]の中に,「幸せ」について聖書からの引用語句と彼女のコメントがある.その中にいくつか気になるところがあるので以下に紹介する.「変えられないものを受け入れる心の静けさと,変えられるものを変える勇気と,その両者を見分ける英知を我に与え給え」とその解説が載っている.この言葉は,マネジメント分野では,条件変数と制御変数という区分に該当する.これらの変数は,組織論における責任と権限の枠組の中で,自分の権限では実行できないことと実行できることの区分になる.この判断は実務上,結構難しい場面が多い.この判断を誤ると説明責任などというあまり生産的でない時間を使わなければならない羽目になる.また,「こだわらなくてもいいことにこだわるよりも,そこから自分を解放することの方がどれだけよいか.」がある.人間の分際(ブンザイ)をわきまえて生きることを指摘している.これは,先月のコラム(https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=197)で引用したKOKIKAの「歌う人」の一節,「みんな役目を持って果たす為生まれて来た・・」と重なっていることに驚きを覚える.女性の感性なのだろうか?さらに,「人生は,思い通りにならないからこそ,安心して生きられるのだ.」そのコメントに,不条理をどう受けとめて生きるかに,その人らしさが表れる.それこそが個性.ありのままの自分を認めれば,人は自由になれる.」彼女の「幸せ感」に多くの共感を持ち得たことにこの場を借りて感謝し,ご具冥福を祈りたい.

人間の欲望の代表が「幸せになりたい.」ではないか.その幸せとは何か?を改めて考える機会になった.渡辺女史のメッセージに「大学は,何をするところかを考えないといけない.大学の重要な目的は,そこに学ぶ一人ひとりが知性を磨き,生きる目標を模索すること」,という指摘がある. 2017年10月のコラムで「人は幸せになるために学ぶ,その幸せとは?」(https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=171)について書いた際,脳科学者ホセ・デルガードの「脳チップ」を取り上げ,幸せについて考えてみた.そして人が学ぶ目的を,「より幸せになるためである.」とし,個性的な価値創りを提唱し,その実現のために社会的価値と人間的価値の共感性の必要性を指摘した.この社会的価値が前野のありがとう因子に,人間価値があなたらしく因子に該当しよう.また,共感性が安原の少欲知足の活力や渡辺の人間の分際(ブンザイ)をわきまえて生きることの方向性になろう.人間の欲望が地球上の生物の中で人間を特異な生物として来たことの要因の1つであることに間違いはないであろう.そして,産業革命が個人の確立の方向性を実現化する舵取りのきっかけとなり,今日に至っていることも多分確かであろう.その条件が富みの増加とその配分という資本主義であるという指摘も否定できない.前野[2]が過去50年間の日本人1人当たりGDPは約6倍に増加しているのに,生活満足度はほとんど変化していないという指摘にその資本主義の行き詰まり感が表れている. 「欲望の資本主義」の中でリスクと不確実性の違いを以下のように規定していた.リスクは定量化できるが,不確実性は定量化できない.定量化できないということは尺度がないということになる.物や金は定量化しやすいため序列が付けられる.一方,心や気持ちなどの心理量は定量化が難しいとされる.「幸せ」は定量化し,現実化すると想定外のもの,「こんなはずではなかった.」になるものではないか.「幸せ」は夢であり,価値の1つであろう.幸せを求め続けるという人間の欲望は,永遠の定量化の課題であり,見果てぬ夢なのかもしれない.今年の初夢は,新たな夢探しのキック・オフなのかもしれない.金沢らしい湿気を含んだ空気が漂う正月三が日であった.

参考文献・資料
[1] 日本放送協会,BS1スペシャル「欲望の資本主義2019〜偽りの個人主義を越えて〜」,https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2225647/index.html,<2020.1.6>
[2] 前野隆司,幸せのメカニズム-実践・幸福学入門-,講談社(2013)
[3] 前野隆司,脳はなぜ「心」を作ったのか-「私」の謎を解く受動意識仮説-,筑摩書房(2010)
[4] ロバート・H・フランク著,金森重樹監修,幸せとお金の経済学,フォレスト出版(2017)
[5] 安原和雄,足るを知る経済―仏教思想で創る二十一世紀と日本, 毎日新聞社(2000)
[6] 渡辺和子,幸せはあなたの心が決める,PHP研究所(2015)
以上
令和2年1月

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