コラム KAZU'S VIEW

2019年11月

祝賀御列の儀のテレビ映像から思ったこと

 昨年の西日本豪雨に引き続き,今年は関東,東北が台風による豪雨災害に見舞われた.ニュースの「命を守る行動を!」という今まで耳慣れない言葉が,聞き慣れた言葉に変わって来たような気がする.紅葉の便りも聞こえだした季節にいつしかなったので,ホワイトロード(石川県と岐阜県を繋ぐ有料道路で山河の美しさを堪能出来るが11月上旬に閉鎖される)に出かけた.紅葉が楽しめたが,色づきがそれほど鮮やかには感じられなかった.加齢のせいで目力が衰えたせいかもしれない.しかし,西の山の端に落ちかけた夕日の色が紅葉の美しさを一層引き立てたシーンは何とも言えない感動をかき立てた.自然の気ままさ,美しさ,そして怖さをこのところ見せつけられている.
 19号台風の影響で延期されていた「祝賀御列(シュクガオンレツ)の儀」が行われ,その前日には国民祭典が開催された.昭和,平成そして令和という3つの元号と3代の天皇と時間を共有出来た瞬間(トキ)を持てた事に感謝したい.千年以上続いている古式ゆかしき儀式が繰り広げられる様子をTVで見ることの出来る国民は世界広し,といえどもまれな存在ではないか.天皇,皇后両陛下のパレードを沿道で出迎える人々が一斉に携帯電話のシャッターを切る光景が異様に見えた.この異様さから,この文化・伝統がいつまで続くか,少々心配になった.面と向かって話しているのに携帯電話をチラ見する日本人に頻繁に出会う.機械とにらめっこして何が面白いのか分からず,自然と腹立たしくなってくる.大人気(オトナゲ)ないとは思いつつ. 
この携帯電話に象徴されるのがネットワーク技術,AI技術,デジタル技術などと呼ばれる技術に支えられた情報社会ではないだろうか.これらの技術を先取りしたのはインターネット技術であろう.このインターネットの起源は,ARPA(Advanced Research Projects Agency:高等研究計画局)と呼ばれるアメリカ国防総省が軍事利用目的の先端技術の研究開発を行っていた組織によるものである.1958年2月に設置されたARPAは,後にDARPA (国防高等研究計画局; Defense Advanced Research Projects Agency)となった.ARPAは軍事目的に限らず, 一般公募によりさまざまな研究への資金提供を広く行っていたが,そうした資金提供の一つとして1967年に研究が開始されたプロジェクトが,インターネットの始まりとも言われる.その基礎をなす世界初のパケット通信のネットワークがARPANET (Advanced Research Agency Network)であった.パケット通信とはデータをパケットと呼ばれる単位に小分けして転送し,受信側で小分けされたパケットを集めて元のデータに復元する方式である.それぞれのパケットに送信先を示す情報が付けられるため,途中に故障した回線や中継機があっても,各中継器がそのパケットを迂回させて宛先まで届けることがでるので故障に強いネットワークをつくることができる[1].このインターネット技術やデジタル技術の発展が来る新たな社会を作り出すと言うような論調を良く耳にする.何となくそのように思ったりもする.しかし,佐藤[2]によると,「情報化社会論は社会のしくみの問題を技術の問題にすりかえている.」との主張があり,自身もこの意見に少し関心をひかれる.技術は本当に新たな社会を創り出すのか?多分,技術は道具であり便法ではないか.社会がどう技術を使いこなすか,社会が欲する未来技術とは何か,といった問いを我々人間は心得ておく必要があう.
  かつての日本人は,こよなく人を愛し,話し,共に喜び,悲しみを分かち合うことを価値として尊重してきたような気がする?上京して電車に乗り,座席に腰掛け,反対座席を見ると8割以上がスマフォを相手にコミュニケーションをしているように思う.何か違和感を覚える.古い人間になった証(アカシ)しなのか?そういう自身も漢字が思い出せず,ついついインターネット検索に手を出してしまう我が身に落胆しつつ.
 
以上
[1](社)日本ネットワークインフォメーションセンター,インターネットことはじめ, ニュースレターNo.66/2017年8月,https://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No66/0320.html
[2]佐藤俊樹,社会は情報化の夢を見る-[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望,河出書房新社(2010)
令和1年11月

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