コラム KAZU'S VIEW
2005年03月
石川ブランド創生(パート2)-九谷焼の価値は200年オーダー価値-
石川の物作りを上げると「金箔」、「加賀友禅」、「輪島塗」、「九谷焼」などがすぐ並ぶ。これらはいずれも伝統工芸といわれる職人技術が支えた物作りであり、市場価値としてはその創造力を弱めて来ている。金箔は0.1ミクロンオーダーの薄膜技術を有しているが、その主要市場である仏壇が社会的な変化から市場価値を失いつつある。これに対し金箔テレホンカード、金箔ボールペンなどなどの製品開発はあるものの更なる価値創造が必要ではないか。
金沢を訪れる友人を小松に迎えに行った帰りに、九谷焼のお店を覘いて見た。2人で店内を見回っている途中で一角に2枚の皿が並んでいる場所にきた時、似たような皿なのに一方は400円、もうひとつは3000万円という値段がついていた。我々がこの2つの皿の違いについて話し合っていた所に店主がやって来て、話に加わった。この皿の一方は人間国宝が作ったもの、一方は工業的に作ったものであるという。九谷焼の製作工程は分業化しており、多数の工程が専門化している。その中で上絵工程の作家が人間国宝だという。上絵製作工程では焼き物の表面に絵の具を「のせる」という表現を使うらしい。「塗る」のではないという。一定時間で多くの皿の上塗りをすることを考える、すなわち効率的作業方法を考えると、筆を使って絵の具を塗ったほうが作業時間が短くなるであろうとうい考えに基づいている。しかし、店主の話では絵の具を筆で置いて行くことで表面は立体的になり色合いも光の当たり方で様々に表情が変わるという。その絵の具は100年、200年オーダーでその色合えと輝きを生み出すのだという。つまり、その皿の価値は200年オーダーで評価する必要があるという。しかし、皿を食器として使うものであると考えると、200年オーダーでは使用期間が購入者からすると意味を持たなくなるのではないかと店主に尋ねた。店主の答えは、この種の皿は「所有する」のではなく、「預かる」と考えるべきだというのである。その時期に社会的名声や経済的配分を多く受けた人間が、その社会に対しての恩返しとして社会から「預かる」と考えることの価値が必要である、ということであった。
法隆寺修復、法輪寺三重塔、薬師寺金堂・大伽藍の復興など飛鳥・白鳳・天平建築を現代に蘇らせた宮大工棟梁の西岡常一氏の物づくりは、木という素材の個性を生かし、かつ、その素材が生きてきた延長上にその組み合わせを考えて建物を造る。木は建物として生き続ける。数百年をかけて木材のそりや捩れが戻る。それを計算して木を組む。木組みは寸法で組まずに木の癖で組む。だから、木材を買うのではなく山を買う。千年オーダーの物造りがそこにある。「人間の知恵なんて底が知れている。自然の命と人間の命との合作が文化だという。」西岡氏によると江戸時代以降の建築物にはそれまでの建物とは違い、作った職人の腕自慢的建物が出てきたという。
江戸から明治に移行する時、我々の先輩は「和魂洋才」をスローガンに西欧文明の吸収策を取った。それから百数十年を経て、和魂和才への回帰ではなく、洋魂洋才へと我々は変貌したのではないか。自然の恵み豊かな石川の地で「自然の命と人間の命との合作」を目指した物づくりによる和魂和才への回帰を今まさに推進する時ではないか。