コラム KAZU'S VIEW

2018年12月

戊戌(ボジュツ)の年の平成最後の師走に思うこと-時代という詩のメッセージ-

 今年の事始めは正月早々の放送大学での品質管理に関する講義からであった.思い返すと,様々な品質上の問題が世間を振り回した.自動車会社での無資格者による検査問題.鉄鋼会社を初めとして検査データの改ざん問題等など枚挙に暇がなかった.そして,今の日本の産業基盤を支えている自動車業界のスキャンダルが締めくくりであった.日産と三菱自動車の会長であるゴーン氏の逮捕劇である.そもそも,戊戌の年は大いなる繁栄の年になるか滅亡の年になるかの極端な年になるとされている.そこで今年,1年のコラムのタイトルを以下に挙げ,行く年を振りかえってみた.
1月:丁酉(ヒノトトリ)を振りかえって思うこと
2月:如月/衣更着(キサラギ)の大雪は平昌(ピョンチャン)の熱気で溶かせ
3月:今年の櫻の見始めは韓国のソウルだった
4月:死に際とは何かを考えさせられた
5月:汽笛一声新橋を・・は西郷と大久保の確執,そして日本のネットワーク創りの試み
6月:これからの学びについて―教えたいと教えて欲しいを融合する場―
7月:映画ダンケルクに見るダイナモ作戦と西野ジャパンのポーランド戦に見る共通点
8月:鳥人間コンテストに見る学生気質
9月:センポ(千畝)という人は日本人初のグローバル人財
10月:沖縄で今起こっている事はこれからの日本の未来に繋がる
11月:60年前のテレビヒーローに写った自身の姿
 年始めの大雪,夏の大雨と東から西へと移動した台風,そして地震といった自然災害が環境の変化を警告してくれた年であった.また,異国の地,韓国ソウルで見た櫻は平昌(ピョンチャン)のテレビ映像とは対照的に暖かさと共に色鮮やさが印象的であった.テレビ番組に触発され,日本の明治以降の150年の歴史を諸外国との関係から考え,自身の人生を思い返す機会を得る事も出来た年であった.
ところで,中島みゆきの詩に「時代」がある.そのメッセージ性を考えてみよう.「時代は巡る.」,「・・倒れた旅人たちも・・生まれ変わって歩き出すよ.」から連想するのは仏教における「輪廻」思想である.この思想は永遠の生き様は様々に変わる.永遠を前提にその見た目(様相)は人間の時もあれば虫の時もある.また,植物や獣などの形をとることもある.これは外観の変化に着目するのではなく,その姿をまとった本質は永遠・不変であると言うものであろう.吉田兼好(官人,歌人,随筆家)の「諸行無常」の理(コトワリ)にも通じている.
兼好は歌人として公家社会だけではなく,北条・足利氏とも交渉があり,高 師直(コウ ノモロナオ)が塩冶高貞(エンヤ タカサダ)の妻に送る恋文を兼好に代筆してもらったが失敗したという話は有名である[1].高氏は代々足利家の執事を司った家系である.これまで足利尊氏の肖像とされていたものが実は師直ではないかと言う説が出てきている.塩冶高貞は師直の讒言(ザンゲン:最近はやりのfake newsのはしり)により,謀反の疑いをかけられ出雲で自害したとされている.兼行の恋文代筆は17世紀にフランスを舞台としたシラノ・ド・ベルジュラック(哲学者,理学者,詩人,剣客,音楽家)[2]がクリスチャンの恋文を代筆した話を思い出す.しかし,兼好の時代はフランスの話に先立つ300年ほど前の14世紀の日本であることに驚く. 後白河法皇が編者とされる梁塵秘抄(リョウジンヒショウ)[3]に「遊びをせんとや生れけむ,戯(タワム)れせんとや生れけん・・・(四句神歌,雑,359)」という歌が載っている.徒然草の中にもこの歌謡集の名前は出てくるが,12世紀の今様(イマヨウ)は現在風な言い方なら流行歌(ハヤリウタ)になろう. 法王はこのような世俗のはやり歌を童が歌う様子から政に明け暮れている自らの生活に人間性を取り戻るきっかけとしていたようだ. 「・・・我が身さえこそ動がるれ・・」に現れる様子は自然に体が動くという世界であろう.今時はインターネットやSNSという情報通信技術で一見して世界中の誰とでも,何時でも,どこでも話が出来るが,その話の内容が問題である.インスタグラムを使って大容量の画像データがFacebook等を介して手元に直接届く.画像からのコニュニケーションは受け手の想像性と感性に依存する.文書によるコミュニケーションは送り手の文書力と受け手の知性に依存する.そこには行間に含めたメッセージとそれを読み解く読解力とか作り出す創造的世界が形成される.後者のコミュニケーションが兼行やベルジュラックのような存在があり得たアナログ時代のエピソードであろう.先日,ある携帯会社のネットワークに通信トラブルが発生し,多くの人々を驚かせた.デジタル時代の生活が便利さを獲得した反面で何を失ったかを情報漬けになっている今の生活を思い知らされた機会であった.デジタルとアナログのコミュニケーションの中で情(ココロ)に報いるコミュニケーションをどのように構築していくか.自分の殻に閉じこもるコミュニケ-ションか(現状維持),自分の殻を破るコミュニケ-ションか(現状打破)を決めるのは本人自身であろう.難しい時代に入ったような気がする.
30年を経て平成が終わり,新たな時代が始まる.過ぎゆく年の自分を振りかえると,自分の人生の阿吽(アウン)を見るように思う.失った若さへの惜別と自分の終わりの先に期待する心の2つの間を振り子が振動している.始めと終わりを繋ぐ時代の価値は,戯れなのか,あそび(遊び)であったのか,どのように生まれ変わりたいか,生まれ変われるか.来年,時間が出来たら考えてみたいテーマが得られたようだ.

参考文献・資料
[1] 大野 芳,吉田兼好とは誰だったのか 徒然草の謎,幻冬舎(2013)
[2] エドモン・ロスタン著,辰野隆,鈴木信太郎共訳,シラノ・ド・ベルジュラック,岩波書店(1983)
[3] 佐佐木信綱,新訂 梁塵秘抄,岩波書店(2015) [4] 佐佐木信綱,新訂 梁塵秘抄,岩波書店(2015)
以上
平成30年12月

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