コラム KAZU'S VIEW
2018年11月
60年前のテレビヒーローに写った自身の姿
私は現在67才である.子どもの頃に初めてテレビという物が一般生活に登場してきた.当時は,テレビは庶民の憧れの製品で,地域の有力者(金持)か街頭テレビで放送を見るのがテレビ番組の楽しみ方の常識であった.その後,高度成長期の波にのり,1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)を控えて,日本国中にカラーテレビが出回り始めていた頃である.その頃のエピソードとして,各家庭でテレビのスイッチを入れる役割は家長としての父親の権限であったように記憶する.その当時の自分が見たかったTV番組はアメリカの番組で,「スーパーマン」,「名犬リンチンチン」やマンガの「ベティ(Betty Boop)ちゃん」のようなものだった.その後,日本人の手による番組として「月光仮面」,「快傑ハリマオ」や「ナショナルキッド」というようなヒーローものにかじりついていた思い出が懐かしい.このようなMade in Japanのテレビヒーローものの制作者として船床定男(フナトコ サダオ)氏がいる.彼を取り上げたテレビ番組を見ていたら,当時,私がとりつかれていた月光仮面をはじめとする様々番組を14年間で約600本も監督していたらしい[1].番組制作費がかなり抑えられていたため,無名の番組スタッフや役者達が,手探りで番組を制作していたらしい.そのヒーローの多くは覆面等で顔を隠し,サングラスやマフラー,そして全身タイツ姿が印象的であった.その当時の少年の胸は,このような物づくりによって高鳴っていたのだと,今さらに懐かしく思い出された.
獣ゆく細道という椎名林檎作詞,作曲の歌を宮本浩次と本人が一緒に歌っていた.歌詞はかなり難解な印象だった.その意味するところを考えて見る.人間の理性(新脳)と感性(旧脳)に対し,現代は理性や知識が中心となっているところに個性が埋没している.感性(本能)を中心にして自分を生きよ,というメッセージが聞こえてくる.自分を取り囲む環境(社会)に自分を埋没させずに生きることは難しい(誰も通れぬ程狭き道)が,敢えて挑戦せよ,と後押しする.この歌から連想したのは人生の歩み方(ライフデザイン)である.アメリカの社会学者のアブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow)の欲求5段階モデルである[2].彼は人間の行動について「人間は欲求を充足するために行動する.」という仮説を立てている.その中で,欲求には5種類があり,各欲求間には階層構造が形成され,下位の欲求が満たされるとその欲求の重点は順次上位の欲求へ変化,成長する,と主張している.例えば,生理的欲求から安全・安定欲求へ,さらに所属欲求へという風に.生理的欲求とは,私達が生命維持のための食事,睡眠,排泄などに対する欲求である.安全・安定欲求は危険や脅威がなく安全に,経済的にも安定したいという欲求.所属欲求は,集団に所属したり,周りから愛情や支援を得たいという社会的認知欲求を意味しよう.自尊欲求(自我の欲求)とは自分が他人から価値ある存在として認められる,尊重されたいという欲求.自己実現欲求とは,自分の持っている能力を最大限に引き出し,自己成長したいという欲求とされる.このモデルで自尊欲求と自己実現欲求の差が, 獣ゆく細道という詩にある他人の目を気にした行動と個性としての生き方の違いになろう.この自己実現欲求を「ありたい姿」として描き出し,これに向かって人生を歩む姿を「なりたい姿」と「実践する姿」で表記する4画面をライフデザインの表記法として学生と共に人生の夢を共創するプログラムを運用している.この4画面には「現状の姿」があり,これまでの生き方の確認をする.また,「ありたい姿」はあるべき姿とは区別している.その理由は,あるべき姿は時として外部からの制約を意味する言葉になるからである.ありたい姿はあくまでも本人の内から湧き出る個性であることが基本であり,それが理性より感性に基づくものであるとことも意味する.
自らの少年期を思い起こし,今改めて自分の生き方を学生と共に見つめ直してみると,自分の獣の部分が何処まで自身で認識できているか,に疑問が浮かぶ.自分探しはこのようにして死を迎えるまで続くのであろう. 獣の情(ココロ)と理性の振り子が少年期と比べ理性に偏りすぎているような一抹の不安を抱く機会に出会った.
参考文献・資料
[1] 石橋春海, 伝説の昭和特撮ヒーロー―「月光仮面」から「闘え!ドラゴン」までー元祖テレビ ((COSMIC MOOK)) コスミック出版 (2014)
[2] Abraham H. Maslow, Motivation and Personality, Joanna Cotler Books (1970)
以上
平成30年11月