コラム KAZU'S VIEW

2018年09月

センポ(千畝)という人は日本人初のグローバル人財

  杉原千畝(スギハラ チウネ)という人は多くのユダヤ人の命を救い,イスラエルからは「東洋のシンドラー」と呼ばれる日本人である.ただし,シンドラー[1]という呼称は必ずしも褒め言葉ではないようで,シンドラーは会社経営をしていた立場で,多少経済的な損得勘定があった行動では無かったか?という疑問も持たれた人物とも聞くことがある.杉原は1924年(大正13年)に外務省書記生として採用され,外交官としての人生をノンキャリとして歩み出す.彼はロシア語が堪能であり,「ロシア語の三達人」の1人と目され,外務省におけるソ連(現ロシア)問題の専門家として活躍した[2].1927年に彼がまとめ上げた「ソビエト連邦国民経済大観」は膨大にデータ,資料に基づきソ連の経済動向を俯瞰するもので,当時ソ連経済が第1次5カ年を皮切りに経済力の拡充を図っている実態を予見していた.実際にソ連の1937年時点の工業生産高はアメリカに次いで第2位になっている.1935年ソ連との北満洲鉄道(東清鉄道)譲渡交渉の成果(当初のソ連の譲渡価格条件の2割で交渉成立させている)は当時の彼の最も輝ける活躍の一端である.しかし,その先見性から当時の関東軍との考えと折り合いがつかず,1937年7月に帰国している.また,ノンキャリであったことがその後のかれの評価に大きく影響してくる.
ソ満国境(満州国は1932年3月に建国)は第二次世界大戦(太平洋戦争)の1つのポイントであった.すなわち,1937年に始まった日中戦争(蒋介石政府をソ連が支援),1939年5月のノモンハン事件(日本陸軍とソ連軍の直接対戦)そして1945年8月8日にソ連の対日宣戦布告へと繋がる.しかし,その前哨戦は日露戦争(1904-1905)にあろう.乃木将軍がかつて無い最大の犠牲を払って103高地の奪取を行った戦いには世界で初めて重機関銃が登場した.以来,第一次世界大戦後,日本はシベリア出兵(1918年〜1922年日米英仏伊がチェコ軍解放を名目に起こした干渉戦争)を通じてソ連領内に深く入り込んだ.この出兵は,歴史上初めて誕生した共産主義国ソ連(1922年建国)の誕生に世界中(資本主義国がほとんど)が驚愕し,恐れた事から始まった.その後,満州国の建国によって日ソ間の国境問題は益々緊張度を高め続けていた.その意味で,満州事変が起こった際に,関東軍はロシアの状況を偵察し,その脅威を肌で感じたという話を聞いたことがある.特に,ソ連の対戦車砲の性能は日本軍を圧倒し,日本兵を震え上がらせたという.しかし,日露戦争当時世界一と歌われたコザック兵を打ち破った日本陸軍軍人がいる.「坂の上の雲」に登場する秋山好古(アキヤマ ヨシフル)その人である.彼は,日露戦争での日本海開戦の作戦参謀であった秋山真之(アキヤマ サネユキ)の実兄である.彼はフランス騎馬技術を留学して学び日本陸軍に騎馬隊を作った.当時の陸軍の世界最先端はフランスとプロイセンの陸軍だったようだ.その当時の陸軍の移動手段は馬であった.機械式移動装置(自動車とも言われる)が出現して以来,状況は一変する.巨大戦艦による海戦から航空機による海戦に時代は変わったにもかかわらずその時流を先取りする当時のエリート軍人が少なかった事が明治維新を終戦という悲惨な結末に終わらせてしまった要因の1つのように思われる.
 杉原千畝が満州国の外交業務をしていた際に,当時の関東軍という明治時代を引きずっている人々と日本の未来を世界レベルで見ている人との確執の中で,彼の先見の明を理解できなかった当時の日本のリーダー,特にエリート官僚と言われ人々に失望を禁じ得ない.先日,自民党総裁選があり,阿倍晋三氏が三選された.彼は岸信介元総理(1896-- 1987年:第56,57代総理)の孫に当たる.その岸氏は初代自民党幹事長であり,その前は満州国総務庁次長,第24代商工大臣(戦前の東条英機内閣)を歴任している.正に戦前・戦後を通じて日本のエリートを地で行った人物である.その彼が敷いた日米安全保障体制が日本国憲法改正の動きとも連動している[3].阿倍総理が描く100年後の日本とはどのようなものか.
戦後になってようやく,杉原千畝はその名誉回復をしたものの,彼の業績を認知している日本人は海外で彼を知る人の数に比べたら,圧倒的に少ないような気がする.そうでないなら,日本という国ももう少し違った国になっていたのではないか.しかし,歴史に,「もし・・になっていれば.」は禁句であろう.R.T. マーフィー[3]氏の「日本人は1930~1940年に日本で何が起こっていたかを,十分検証・評価する必要がある.」は今の日本人が今の日本を理解するために一考に値する.千畝は,インテリジェンス・オフィサー(長い耳のウサギ)[4]とも呼ばれている.この本[4]には千畝が六千人の「命のビザ」[5]を発行した際に,スタンプが使われていたのではないか?という話も挿入されている.アメリカの力が相対的に低下し,中国の台頭とロシア,朝鮮半島といった東アジア地域の影響力が世界的に高まって来ている環境を認識した上で明治維新からの日本を顧みて,今後の100年後の日本を考えるとき,杉原千畝についてその時代背景と彼の行動を一考する必要性を感じる.

 参考文献・資料
[1] スティーヴン・スピルバーグ監督作品,シンドラーのリスト, ユニバーサル・ピクチャーズ配給,1994
[2] 渡辺勝正,杉原千畝の悲劇: クレムリン文書は語る, 大正出版, 2006
[3] R.ターガート・マーフィー著,仲達志訳,日本-呪縛の構図(上),(下),ハヤカワ文庫,早川書房,2017年
[4] 白石仁章,杉原千畝―情報に賭けた外交官−,新潮文庫,新潮社,平成27年
[5] 杉原幸子,新版 六千人の命のビザ,大正出版,1994
以上
平成30年9月

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