コラム KAZU'S VIEW
2018年08月
鳥人間コンテストに見る学生気質
今年の夏は何時になく暑い日が多かったような気がする。「炎暑お見舞い申し上げます。」のような文面を目にしたし、自分でも書き綴った記憶がある。金沢に来た33年前(1985年(昭和60年)11月に現職場に着任)には、夏にフェーン現象があり、気温が体温を超え、扇風機をかけても、熱風が来るだけで、涼しさはないというカルチャーショックを受けた。しかし、ここ十年以上はそのような記憶は余りたどれない。異常気象はもはや正常気象になったのではないか。その位、異常気象とか今まで経験の無い雨量とかの言葉に聞きならされた感がある。「異常気象」の定義を調べて見ると、気象庁は[1]、過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候とし、世界気象機関は、平均気温や降水量が平年より著しく偏り、その偏差が25年以上に1回しか起こらない程度の大きさの現象としている[2]。異常と正常の変化点にさしかかっているのではないか。
秋の気配を感じる8月末に鳥人間コンテストの番組を見ていた。台風12号の影響で強風の中、翼や機体が損傷するチームが続出した。1年かけて作った機体が壊れるのも目の当たりして、飛行を辞退するチームも出ていた。結局、強風のため競技は途中で中止となった。飛行できなかったチームは1年間の努力を試す機会を失い嘆き、悲しむシーンが心を打った。また、悔しさを胸に秘め、次回に希望を託す言葉を後輩に投げかけているシーンも印象的であった。あるチームのエピソードとして1年間の準備状況の下りがあった。その中で,あるパイロット担当の学生が自分の限界までのトレーニングをしている様子が写し出され、インタビュアーが、「そこまで自分を追い詰めて練習して、次の日に影響しないのか?」という質問に、「明日が考えていない。」という会話を聞き、青春を感じた。自分が大学で教えている授業でキャリア・デザインをテーマとしているものがある。そこでは、自分の人生を、将来、例えば10年後を見据えて今を生きることを説いている。その狙いは、学生が心からの思い、夢(ありたい姿)を引き出し、描き出すことで自分という個性を自覚し、これを更に伸ばし、磨き上げることで夢の実現を考えてもらうことである。鳥人間コンテストに参加する大学生チームメンバーの描く1年後のありたい姿は、具体的で明確かつ定量的である。また、現状の姿も昨年実績などで明確になる。このありたい姿と現状の姿のギャップが明確な分、そのギャップの橋渡しとなる、なりたい姿(ロードマップ)も描きやすいし、過去の経験のあるチームはその経験をモデルにできる。多分、問題は明確な「なりたい姿」を1歩づつ、確実に達成するための実践する姿(Plan-Do-Check-Act)であろう。鳥人間コンテストのプロジェクトを体験した学生はこの経験を通じてこの課題に取り組むことで、1年後のありたい姿から10年後のありたい姿を描くことに挑戦出来るであろう。その意味で競技形式はキャリア・デザイン教育の演習問題として有効な方法である。問題は、個性としての夢は多様性の中でどのような独自性を見出すかというキャリア・デザイン問題、すなわち、オンリーワンを目指す問題に対し、競技はナンバーワンを目指すという違いがあり、これを踏まえて、より多くの学生に共感を持ってもらえる競技をどのように選択するか、であろう。自分の青春時代を懐かしく思い出すとき、明日を考えない全力疾走とは違う今の生き方の中にも、ある種の共有感を持つ。それは、「朝(アス)に道を聞(キ)かば、夕べに死すとも可なり。(論語 里仁編(リジン) 第四の八)」悔いを残さず、この世を去るための生き方である。人生の残りを勘定する年になったと言うことであろう。
今の人生に不満があるわけではないが、あの世という存在になぜが知的好奇心を持ってしまう自分の処し方に戸惑う、67回目の誕生日であった。青春という人生の夏を終え、秋を感じつつ、その後の冬に思いを馳せる心境を自覚しつつ、司馬遼太郎の「その「未来」という町角には私はもういない。」[3]という言葉が思い出された。
参考文献・資料
[1]気象庁,気候・異常気象について, http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq19.html, <2018.8.11>
[2] 気象庁,異常気象とは,
https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/extreme_world/explanation.html
<2018.8.11>
[3] 司馬遼太郎、二十一世紀に生きる君たちへ、世界文化社、2006、p.8
以上
平成30年8月