コラム KAZU'S VIEW

2005年02月

石川ブランドの創生(パート1)-石川のもの創りと人づくり-

私が石川に来たのは1985年11月1日であった。それから20年の月日が流れようとしている。生まれ故郷は山梨県で高校までいた。その後、大学に入るために東京に出て15年、そして石川県に移り住んだ。石川に来た当時、長女は2歳、長男が1歳になっていなかった。その子供達がいずれも成人を迎えた。

石川県に来て、一番の驚きは雪の降り方であった。太平洋側の雪は「深々と降る。」と言われるように雪は静かに降るものと思っていたが、こちらでは雷と共に雪が舞い上がるのである。舞い上がるとは雷と共に強風が吹き、その風に舞い上げられるように雪が舞うのである。丁度、太平洋側の夏に夕立が来るがごとく、冬に起きる自然現象である。「冬の雷」という歌が流行ったが、実感としては無かった体験である。11月に現在の金沢工業大学に赴任し、3日間は晴れ間が続いたが、その後大粒の霰と雨で、革靴を3足駄目にした。「弁当忘れても、傘忘れるな!」を体感した。車を朝大学の駐車場に置いて、夕方帰ろうとしたら、車が無い?良く見ると雪の下に埋もれている。半日で1メートル以上積もる雪に感激した。その後、冬の車のトランクの中には雪かき用のスコップを入れておくのが常識だと諭された。しかし、この雪が溶ける春になると、外で子供の声がする。それまで暗く閉ざされていた重い空間が一変して、明るく晴れ晴れとした天気の下で子供達のかん高い声が鮮明に聞こえ来るコントラストが何とも新鮮で、心地良い。自然の移り変わりの明確さがとても魅力的な印象であった。その後、金沢には余り雪が降らなくなった。東京にいた時は環状八号線(俗称カンパチ、魚ではありません)沿いの12階の部屋だったので子供を育てるには問題あり、と思っていた。従って、この自然環境はとても魅力的だと思えた。

石川に来て早々、こちらに誘ってくれた先輩の紹介もあり、いくつかの研究プロジェクト、行政機関の委員などを引き受けさせてもらった。Computer Integrated Manufacturing: CIM(コンピュータによる工場管理)を石川県の中堅企業に導入する石川県工業試験場の研究プロジェクトや金沢市の企業誘致委員会の仕事に参加させてもらった。CIMプロジェクトでは製造現場の匠的物作り技術力の高さに比べ、管理技術の評価の低さに驚かされた。まさに「もったいない」の印象を強くした。この印象は、石川に来る前は工場管理の研究は主にトヨタ関係の企業との共同研究や仕事仲間を通じたものが多かったので、特に強く感じたものであろう。また、企業誘致ではどの位の道路を設置したら良いか、ガスや水道などのインフラ整備をどうしたら良いか?の議論が中心であったが、冬の雪を考えると物流機能に弱みがあることは明らかであるので、物的流通要素の道路より情報流通のための光りファイバー設置を先行投資してはどうかという提案をしたが、一笑に付されてしまった。その後、産業政策や工場管理分野の多くの知己を得た。たまたま、昨年より石川県の産業革新戦略会議の委員を拝命し、石川県の10年後について、多くの方々とお話する機会に恵まれた。石川に来て20年、成人式を迎えられるようになったので何か自分のやりたいことを提案させてもらおうと思った。

このとき、ふと、物作りの匠をもっと利益に結び付けられたら面白いな、そんな人財育成ができないかと思った。

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