コラム KAZU'S VIEW

2018年04月

死に際とは何かを考えさせられた

韓国女優のチェ・ジュウ(崔志宇/최지우/Choi Ji Woo)さんが、一般男性と結婚したというニュースを聞いた。その後、たまたま、彼女が最近主演をした韓流ドラマを見た。そのドラマの主題が少々重たいテーマ性を持っていた。認知症の義母(キム・ヨンオクが好演していた)の介護をしている母親インヒ(ウォン・ミギョンが奥深い演技をしていた)が、がんに侵され、そのがんが体中に転異し、余命いくばくもない状況におかれた家庭が舞台となっていた。彼女のご主人チョン・チョルが外科医でかつてはオーナー病院長をしていたが、医療過誤事件を起こし失職するという経歴を持っていた。彼ら夫婦には1女1男がおり、長女がチェ・ジュウ演じるヨンス、その弟ジョンスをミンホが演じていた。
このドラマのテーマは、いわゆる幸せな家庭の中の親子関係が、その中心的存在である母親の死に直面した際の各立ち位置での心の変化を通じて家族愛を説いている。形式上の中心的存在の父親は、寡黙で見栄っ張り、内心は小心者という設定。長女は自己中心的で仕事はできるが不倫をしている。長男は医大希望の浪人生で、甘えている自身を認識していない。現在、認知症の義母は、かつてはその嫁との確執を持っていたが、患ってからは、実の子供たちから見放され、一時は老人ホームに入っていたが、その嫁が引き取り、看護を受けて何とか生き延びている。インヒの弟は競馬狂いでタクシーで生計を立ててはいるものの、その妻の収入で生活しており、早くに母親を亡くしたため姉に育てられていたが、姉には常に甘えている状況であった。このような韓流ドラマ定番の複雑な親族関係の説明部分は蛇足的には思えたが、そのストリー展開では必要であったろう。脚本はノ・ヒギョンで、ジョンスの恋人役で出演もしている。この脚本家の視点が何とも面白いと思った。それは、インヒの義妹の台詞であった。「男に生理痛があったら、世界は戦争だらけであろう。」というメッセージであった。自分はその経験がないのでその痛みは生理的に理解できない。多分、大変な苦痛なのだろう。このところ、日本でも首相夫人や、前人未踏のオリンピック4連覇のアスリートのパワハラ問題などの女性が起点となる問題が世間を賑わしている。上記の韓流ドラマは韓国お母さんのふがいないない男連中へのメッセージではないか。
この4月から始まった、NHK朝ドラ「半分、青い。」の主人公のおばあちゃん(富山県出身の風吹ジュンが短期間であったが好演)の死後の一言、「ピンピンコロリ!」はなんとも爽快でした。かくありたい。
日韓問題も地理的には近いものの、その歴史的紆余曲折や政治的な駆け引きなど複雑怪奇である。上記の日韓ドラマ合戦も女性の目からすれば観音様の手の平の上の出来事のように見えるのかしれない。日本男児は、その視点で自らの足下をもう一度見直す期(トキ)ではないか。改めて、「武士道と云(い)ふは、死ぬ事と見付けたり。」[1],[2]の葉隠れ(葉蔭/葉可久礼/ハガクレ)の武士としての心を自分の生き様に重ねて考えてみようではないか。戦国時代に戦に明け暮れた時代と、天下太平で鎖国をしていた時代の武士の環境の変化の中で武士としてどう生き抜くか?の命題にどのような回答を見いだせたのか、に心を馳せて。
参考文献
[1] 三島由紀夫、葉隠入門(新潮文庫)、1983
[2] 山本博文、「葉隠」の武士道 誤解された「死狂い」の思想、(PHP新書)、2001
以上
平成30年4月

先頭へ