コラム KAZU'S VIEW

2017年10月

人は幸せになるために学ぶ,その幸せとは?

神経科学者(脳科学者)ホセ・デルガード(Jose Manuel Rodriguez Delgado)という人物を初めて知ったのはあるテレビ番組であった.その刺激的なメッセージは,「人を操る恐怖の脳チップ」であった.人を操るとは,あまりいい意味では使われない.マインド・コントロールや電子頭脳人間などをイメージする.近年,脳科学の発展によって,脳科学者と言われる人がテレビ番組によく出てきて,様々なコメントを専門分野の知識を使って解説してくれるので,それまで遠い存在だった人間の脳という存在が,以外と身近に感じられるようになってきた.人間の脳は人の心を宿す場所,理性の象徴,肉体対精神の精神的部分など様々なイメージがある.デルガードの「喜びは優しく撫でられる肌でも満腹な胃でもなく,頭蓋骨の中にある.」や「冷酷でない,より幸せでより良い人間を作る.それは,精神的に文明化された社会だ.」という表現[1]は上記文脈に繋がる.脳の中のセロトニンやドーパミンなどの濃度が上がると,人間は幸せや喜びを感じるらしい.この現象を意図的に作り出す,つまり,人の脳の中でセロトニンやドーパミンを増やことで,人は常に幸福感に包まれることになる.つまり,毎日が酒(wine)と薔薇(roses)の日々となる.この仮説は真か偽か?
私が現在担当する講義では,キャリアデザインとマネジメントの融合をテーマとしている.その前提は,「生きる事とは学び続けることである.」としている.では,人はなぜ学び続けるのか?その答えとして,「今より幸せになるため.」を準備している.ところで,人はどのようなことを幸せと信じるのか?この幸せ感が個性を産みだし,人それぞれの生き様(日本人の好きな・・・道,Going my way),すなわち価値観と行動規範を生み出していると思う.しかし,これが行き過ぎると自らの創造活動と他者の創造活動の間に壁が生ずる.ここに,最大公約数的な社会的価値の必要性が出てくる.また,個人の価値創造には個人の持つ知識や能力などの経営資源が有限であるため,より大きな価値創造には他者の協力(他者の資源化)が必要になるという側面もある.社会的価値の存在意義はこの2つにあろう.この問題を考える時,人間的価値(個人)と社会的価値(組織的,ネットワーク的な存在)の距離感(間合い)取り方が非常に難しい.しかし,日本人はこの微妙な間合いを本能的に持っているのではないか.この間合いを科学的に分析するのは,科学のこれからの課題の1つではないか.私の講義では,この間合いを共感と表現している.個々人の心の動きである感動が他者の言動や行動に共鳴した時,共感が生まれる.従って,私は学習者に対し,人は,周りに対する意識以前に自らの心の動きに焦点を当て,その上で,周りの心の動きに関心を移すことを伝えている.
再び,テレビ番組に戻る.この番組の問いかけは,幸福とは何か?幸福と感じること(幸福感)と幸福は違うのか,すなわち,その本人が幸福だ!と感じたら,それは幸福というモノなのか?というようなものだった.幸福というものに満ちあふれた毎日は本当に幸福なのか.不幸があって幸福がある.不幸が多いから,わずかな幸福は至上のものとなるのでは,とも解釈できる.デルガードは,フランコ将軍によるスペイン内乱の時,マドリッド大学の医学部を卒業し,将軍に敵対する共和国軍の医療部隊にいた.彼の父親は眼科医だったらしい.その結果,彼は敗れた共和国軍の一員として強制収容所に数ヶ月収容されていた経験を持っている.この時の経験(不幸)が,彼をして,為政者や権力者の攻撃性を抑えれば,より平穏で幸せな社会が生まれるのではないかという精神的文明化論を生み出させたとも考えられる.そして彼は,脳に電極チップ(スティモシーバー:Stimoceiver)を埋め込み感情や行動を思いのままに操ることでそれが実現できると信じるようになったのであろう.また,彼は科学者と同時に技術者の側面も持っていた.このことは,エール大時代の同僚から「技術の魔術師」と呼ばれていたと言われていたことからもうかがえる.スティモシーバー以外に心臓ペースメーカーの原型となるものや脳の特定位置に薬を直接投与できるケミトロードなども彼の発明品と言われている[2].しかし,その後,この電脳チップは一人歩きし,その産みの親は人間を洗脳する悪魔の科学者と社会から非難されるに至る.脳チップは神経疾患の有効な治療法である一方,兵隊の戦闘能力アップ(ターミネータ−)に利用できるという可能性を秘めていた.このことは,近年広まってきたSNS(Social Networking Service)を使ったFake News問題にも見いだせる.SNSは本来,個人対個人の繋がりを促進・支援することであったが,これがいつの間にか個人が社会を操作することに利用されている.
しかし,脳チップはその後,医療技術の1つとして見直しされつつある.脳性麻痺やパーキンソン病治療,うつ病や脅迫性障害,パニック発作,慢性疼痛などの障害治療,そして,その発展系として人工神経などと呼ばれ聴覚神経を代替する人工内耳,光チップによる人口網膜などの可能性である[2].デルガードの不幸と幸福の人生,その生き様は何を我々に教えてくれるのか.我々人類は,知識社会に向かうと多くの世界の賢者が言っている.この未知なる知識社会を生き抜く人々に対し,何を残したら良いのか.ふと,思い出される言葉は,福沢諭吉の,一身独立して一国独立す(2009年11月コラム「今,改めて考えるべき一身独立しの意味」参照)である.

参考文献
[1]  Jose M. R. Delgado, Physical Control of the Mind: Toward a Psychocivilized Society, Create Space Independent Publishing Platform (1970)
[2] J. ホーガン,日経サイエンス編,脳にチップを初めて埋めた男 ホセ・デルガードの早すぎた挑戦,日経サイエンス,第36,第2号,pp94〜103(2006)(John Horgan, The Forgotten Era of Brain Chips (SCIENTIFIC AMERICAN October 2005)
以上

平成29年10月

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