コラム KAZU'S VIEW
2017年06月
古都奈良に来て,ご当地キャラの変化から古(イニシエ)を思った
5月の末に学会で龍谷大学に出かけた際に,京都からJR奈良線に乗った.それから1ヶ月後に,再びこの路線を利用する機会があり,今度は終点の奈良駅まで乗車した.京都駅の外れのホームで,分かり難い場所であったが,2回目なのでスムーズに乗り換えができた.京都市内もそうであったが,海外からの旅行者が多く,賑わっていた.電車も結構混んでいたのには驚いた.奈良と言えば,奈良の大仏,法隆寺,斑鳩の里などなど,枚挙にいとまが無い,日本の古代史の宝庫,古代の日本を知る遺跡の宝庫である.自ずと魅力を感じる.路線名も,「大和路線」や「万葉まほろば線」といった看板が目を引く.初めての奈良駅を降りて,2階の改札口からエスカレータで階下に降りると,駅舎のモダンな建物とは対照的な建物が目に入ってきた.まず,目に留まったのは法隆寺五重塔を思わせる相輪(ソウリン)が天高く伸びていた.その建物の前にある広場ではジャス音楽をライブで楽しむ風景があった.その建物の中を覗くと,奈良市総合観光案内所という看板が掛かっており,その奥には鹿のぬいぐるみのようなものが沢山並んでいた.奈良のご当地キャラクターとして,「せんとくん」は知っていたので想定外のシーンだったので何となく気にかかっていた.その後,当日の会場となっている旅館に行き,売店を散策していると,例の鹿のデザインされた土産物が並んでいた.店の方に聞くと,「しかまろくん」というご当地キャラだという.まろ眉がトレードマークだそうだ.
せんとくんは,平城遷都1300年記念事業のマスコットとして籔内 佐斗司(ヤブウチ サトシ)東京芸術大学大学院教授が2010年にデザインしたものだ.鹿の角が生えた童子がモチーフになっている.しかし,鹿をモチーフとした奈良のご当地キャラには他にも多数あるらしい.平城京の朱雀門の帽子をかぶりマントを着けた「まんとくん」,ROKU(ロク),その友人の「ハナ」,白い雄鹿の「クチビルケンジ」,猿沢池に昔から住んでいる「かめきち」,守り神の「こうしんちゃん」などなど,である.
平城遷都1300年記念は,710年(和銅3年)に第43代元明天皇(女帝)が平城京に遷都してから,2010年(平成22年)で1300年になることを記念したものである.これは奈良時代(平城時代)と言われ,794年(延暦13年)に第50代桓武天皇によって平安京に都が遷されるまでの84年間を指す.狭義では,同じく710年から,784年(延暦3年)に桓武天皇によって長岡京に都が移されるまでの74年間を指すこともある.しかし,740年から745年にかけて,聖武天皇は恭仁京(クニキョウ/クニノミヤコ),難波京(ナニワキョウ/ナニワノミヤコ),紫香楽宮(シガラキノミヤアト)に,それぞれ短期間であるが遷都したことがある.平城京は,中国の都長安をモデルに造営したとされる政治都市であった.平城京への遷都に先立ち701年(大宝1年)に施行された大宝律令(タイホウリツリョウ)は,天皇を中心とした律令国家,専制国家,中央集権国家形成の礎であった.また,この時代は天平文化が花開いた時代でもあり,古事記,日本書紀,万葉集など日本最古の史書,文学が登場し,日本という国が政治的,文化的に大いに繁栄した時代であったと言えよう.さらに,この時代は遣唐使を度々送り,国際的な交流も盛んであった.この流れは日本海を通じて日本と唐を,シルクロードを通じて唐と中近東を結ぶ壮大なサプライチェーンを形成し,文化と経済交流が行われた.しかし,同時にこの時代は,中央での政争が多く起こり,東北では蝦夷(エゾ)との戦いが絶えなかった時でもあった.
日本の国家体制が固まった時期が古都形成の時代背景であろう.この時代は,政治・文化の繁栄の陰で,国内の反体制勢力への統制強化と国際化への展開という2つの方向への振り子が振れ始めた時代ではないか.このような不安定な時代に都を移すことには様々な意図があろう.この遷都を誘導したのは,当時の権力者であった藤原氏であった.その藤原氏の祖先神が武甕槌命(タケミカヅチ)であった.しかし,武甕槌命は常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮に祭られていた.そこで,創られた話が,純白の鹿の背に跨って武甕槌命が,新都である「奈良・平城京」へ現れた,と言うものであった.この話に基づき,春日大社が武甕槌命を祭るために藤原不比等(フジワラ ノ フヒト)により768年に創建された.その時,鹿が神の使いとしてシンボル化された.これが,奈良と鹿の馴れ初めのようだ.それから,1300年の年月が流れた.せんとくんとその後の奈良のご当地キャラ群との隆盛争いは,国内を超え,海外へのご当地キャラ進出の動きにもなっている.この動きは,海外からの旅行客誘致要因につながっているようである.1300年の年月はサプライチェーンにおけるモノと情報の流れの方向を逆転させたように思う.海外から来た人々は,古都の滞在経験を通じ,何を持ち帰るのか?また,古都の人達は何を持ち帰って欲しいと思っているのか.その意味で,今の日本が国としてどこに向かおうとしているのかを海外から来た人たちに,迎える側として伝える機会が2020東京オリンピックであろう.3年後を目指し,日本人1人1人がこの問題を考え,行動する必要性の認識が,古都から持ち帰った旅の土産であった.
以上
平成29年6月