コラム KAZU'S VIEW
2016年10月
2人目の孫に出会えた喜び
10月7日に2人目の孫に出会える機会を得た。予定日より10日早いお出ましだった。
今度は男子であった。初対面の印象は、とても穏やかで、のんびりした風貌だった。お姉ちゃんの時とはからなり対照的な印象を受けた。これは、性別から来る印象なのか、2人目という慣れなのか、よく分からないが、とにかく、無事に生まれて来てくれて、何よりと思った。
今回は、息子夫婦から名付け役を仰せつかっていたので、数ヶ月前より姓名判断の本を数冊読みあさった。参考までに語源辞典の植物編、動物編なども参照してみた。姓名判断にも○○流という、いろいろな仮説があるようだった。字画数にも姓と名、姓の最後と名の最初の字の組み合わせ、名前の総字画数、姓名の総字画数、音の組み合わせなどなど、結構複雑で、頭の体操にはなった。そして、字の由来や意味を考える必要もあった。
そもそも、人の名前を付けることは、自分の最初の子供が生まれた際に、結構思い悩みながら、いくつかの候補を選んでいたが、自分の母親からその道の専門家に依頼して考えてもらった名前に決められた経緯があった。自分の名前もその種の決め方で決まったらしい。「和克」と書いて、「カズヨシ」と読ませる。これまでに出会った方で、この読み方を1回で読んでくれたのは、1人くらいしかいない。大抵、「カズカツ」か、「カズミ」という読み方をされた。子供の頃は、この名前がうっとうしく、嫌だったが、知らず、知らずにこの感覚も忘れさられた。このプロセスは意識していないので不思議な思いである。自分という存在を、自分自らが認識、自覚したと言うことであろうか。現在では、自分の名前を、「和をもって、克つ」という意味づけをしている。今年の6月のコラム「30年勤続表彰をもらって思うこと」で触れたが、自分の人生の最大の財産は、人脈だと思っているが、このことがそう言わせるのであると思う。
今回、生まれてはじめて名前を付けさせてもらうという経験を通じ、その責任の重さを感じつつ、付けた名前の上にどんな人生が描かれるのか。22世紀の世の中はどうなっているのだろうか。人類は、地球を飛び出し、宇宙を生活の場としているのだろうか。そんな、わくわく感の中で、この名前が、彼の人生の意味づけに何かしらの思いを持てるものになってくれたらいいなと思っている。
以上
平成28年10月