コラム KAZU'S VIEW

2016年09月

10年ぶりに訪れた北海道で発見した意外な一面

9月7日から10日まで学会で北海道を訪れた。直前に台風13号が北海道を襲ったので行けるかどうか心配だったが、予定通りに実現できた。北海道は、10年ぶりだった。前回もやはり学会で小樽での開催だったが、今回は札幌市手稲での開催だった。最初に北海道を訪れたのは大学3年の時だったので40年以上前になる。その時は、クラブの先輩と同期生とで北海道スキーを楽しもうという企画であった。この企画は、1972年に開催された札幌冬季オリンピックの会場を巡り、北海道のパウダースノーでスキーを楽しもうという狙いがあった。手稲、真駒内や宮の森などのオリンピック施設を見たり、ニセコスキー場でニセコアンヌプリ山頂を目指したり、網走刑務所の前で写真を取ったり、尾岱沼(オダイトウ)で白鳥を見たり、霧のない摩周湖でマリモを探したり、雪の大通り公園のステージで夜に酔っ払って合唱したりした思い出が昨日の出来事のように懐かしく、明瞭に蘇る。若かりし青春の1コマである。
 札幌オリンピックは、アジア最初の冬期オリンピックで、これを機会に札幌に地下鉄が設置された。この地下鉄はゴム製タイヤを装着し、騒音対策の優秀さが売り物であった。この大会では、スキージャンプ70m級で日の丸飛行隊と称された金銀銅メダル日本人独占、銀盤の妖精と言われたアメリカ女子フィギアースケート選手ジャネット・リンがもてはやされた。ちなみに、オリンピックテーマ音楽はトワ・エ・モアという男女ペア歌手による「虹と雪のバラード」であり、この曲が当時日本中で大ヒットとなっていた。この札幌冬季オリンピックは実は2回目の計画で実現したらしい。第1回目の札幌オリンピックの計画は1940年に計画された。しかし、この計画は第二次世界大戦で中止となった経緯がある。東京オリンピックと同じ歴史を持っていた。
 今回の北海道訪問は、新千歳空港から始まり、小樽、札幌と回った。小樽では、10年前の記憶をたどりつつ、懐かしさと新しい小樽の発見を楽しんだ。新しさの発見の1つに、運河の船旅の船頭さんに女性が多いこと。船頭の中に海外出身者が見受けられることであった。
札幌市内では、大倉山ジャンプ競技場でスキージャンプ90m級のスタートラインから見る札幌の風景に感動した。まさに、札幌の街に向かってダイブする感じがリアルに描けた。北海道庁旧本庁舎という赤煉瓦の建物を見学したとき、その1室に北方領土(4島)をテーマにした部屋があった。その中で、第二次世界戦中の写真や遺品を展示したコーナーがあった。その中でかつて日本人が生活していた北方領土にソ連機が空襲を行っている写真、終戦時にソ連軍進行を受けた際、当地で電話交換手業務をしていた娘さん達が集団自殺した記録、北海道に逃れる途中の輸送船がソ連潜水艦の攻撃を受け数千人の方々が亡くなったという記録を初めって知って、北方領土問題の重みを知ることができた。それと同時に、40年前に尾岱沼から水平線越しにぼんやりと見えた国後島が脳裏をかすめた。
建物の外に出ると、それまで降っていた雨が止み、前庭で多くの人達が集まっていた。その先には大道芸人風の若者がパフォーマンスを披露していた。拍手や歓声が沸いていた。建物の中と外の雰囲気のギャップに少々戸惑った。札幌の街並みも10年前とはかなり違っているように漠然と感じたが、これらがスケールの大きな北海道なのか、とも思った。
以上
平成28年9月

先頭へ