コラム KAZU'S VIEW
2016年05月
ジョン.F. ケネデイというアメリカ大統領について
現役のアメリカ大統領が広島をはじめて訪問することが決定した。戦後の日本史でも特筆したい事項である.現代史の中で様々な意見や論争のある中で、人類史上、はじめて原子爆弾が生活空間に落とされた事実を加害者と被害者が共に感じ,考え今後を模索する時期(トキ)ではないか.今回の水先案内人は、現アメリカ駐日大使であるキャロライン・ケネディではなかったか.
John Fitzgerald Kennedy(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ)は第35代アメリカ合衆国大統領で、1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。アメリカ大統領の暗殺の歴史を見ると、これまでに4人の大統領かその犠牲となっている。第16代エイブラハム・リンカーン、第20代ジェームズ・ガーフィールド、第25代ウィリアム・マッキンリー、そして第35代のJ.F. ケネディとなる。
今の日本人にとって記憶に残るのは第35代のJ.F. ケネディである。その理由は、日本が最初の衛星中継のテレビ放映を経験したテレビ画面が、彼の暗殺されるニュースであったからである。テキサス州ダラスを遊説中の事件であった。その衝撃的映像を多くの日本人は鮮明に覚えている。その愛娘であるキャロライン・ブービエ・ケネディが今のアメリカ第29代駐日大使である。ケネディ家はアイルランド移民の家系である。ケネディ家がアメリカに移ったのはパトリック・ケネディの代である。その息子パトリック・J・ケネディは、港湾労働者として身を起こし、やがて事業に成功してマサチューセッツ州下院・上院議員となった。また、その子ジョセフ・P・ケネディSrは投資家として資産を築き、証券取引委員会の初代委員長および外交官(駐英大使)として活躍した。その子がジョン・F・ケネディである。弟の司法長官・合衆国上院議員ロバート・ケネディは大統領に立候補しようとした矢先に暗殺された。このような悲惨な歴史からケネディ家の呪いという言葉までできた
J.F. ケネデイが、1963 年 6 月 10 日アメリカン大学の卒業式において『平和の戦略』と題する演説の中で大学のミッションを端的に物語った有名な演説がある。多分、60代以上の大学教員が耳を傾けた言葉だと信じたい。それは、「大学は無知を憎む人々が知ることに努め、真理を知っている人々が、他の人々の眼を開かせようと努める場である。」というメッセージである。
この4月に、広島でG7外相会談が行われた。日本という国は、人類史上、最初の原子爆弾を落とされた国である。だからこそ、その経験を世界に発信する使命は、生き残り、生き続ける日本人でしかできない仕事であろう。最先端の科学技術が我々、人類を滅ぼしかねない可能性を持っているという認識を持ち、それを伝え続けることが、人類のこの悲劇を、二度と繰り返さないための地道な努力なのではないか。
今日の世界を眺めると、疑心暗鬼(ギシンアンキ)が戦争を誘発し続けている。人類が、信頼形成を構築する努力を放棄して、破滅の結末に落ち込もうとしているように思える。今こそ、日本人が平和を目的とし、そのために、人類が何をすべきか?について日本人、一人一人が世界に向かって情報発信する機会ではないか。
それを、世界が日本に求めている。その求めに日本人は答えているのか?今、まさに、日本人が一人一人、自分の「ありたい姿」を描き、その実現のための方法論を世界に発信する時ではないか。
以上
平成28年5月