コラム KAZU'S VIEW

2004年11月

天災は時代の変革の前兆か?

今年はこれまでに台風が10回上陸している。また、10月には中越地震が起きている。何か、自然の動きがこれまでにないものに感じられる。改めて。自然の力の前には人間の力は手の平の上の孫悟空まがいに見える。

韓国ブームが日本で起きたのは韓国ドラマの「冬のソナタ」がきっかけとされる。この12月も今度は完全版、韓国語の日本語字幕スーパー版が放送されるという。何故、今韓国か?これは多分2002年のサッカーワールドカップが伏線ではなかったか。アジアで初めてのサッカーワールドカップが日韓合同開催で行われ、韓国、日本がベスト16に残ったという快挙があった。当時の日本のIMDによる国際競争力が30位(2004年では23位まで回復)だった時期である。この年、浜名湖のほとりでスケジューリングの国際会議があり、そこで韓国のKAIST(韓国科学技術先端大学院大学)のHwang教授と一緒だった。彼らと一緒に韓国のゲーム、日本のゲームを観戦した。その時、不思議な一体感を覚えた。その後、韓国は日本文化に対する解放政策を打ち出している。日韓の不幸な歴史はその時代の世代に感情的しこりを残した。時代はその次の世代に移りつつあった。そんな時期でのワールドカップであった。 冬のソナタは70年代を青春した人達に支援されているように思う。それは1968年のグルノーブルオリンピックの記録映画テーマ曲であるフランシス・レイの「白い恋人たち」および1972年の札幌オリンピックの白のイメージに共感した現象のように思われる。あれから30年、その当時若者だった世代が同じ世代の子供を持つ時を迎え、不器用な男に比べ、腹の据わった女のリーダーシップを感ぜざるを得ない。あの時、学園紛争に血をたぎらせ、浅間山荘事件で終焉した思い出を重く受け止める世代の明暗を分ける現象とも映る。しかし、そのストーリーを良く見ると女性が主人公である、まさにカカ楽の世界のような気がする。ラストシーンは夕日をバックに視力を失ったヒーローと様々な苦難を乗り越えたヒロインが海辺のヒロイン自らが意匠した家で抱き合うものであった。石川県と韓国は日本海?を挟んで隣同士である。能登には韓国文化が色濃く残っている。石川県は北の能登地区と南の加賀地区に分かれるが加賀の人は能登地区に行くことを「下る」というと聞いた。しかし、義経主従に代表されるように北陸の地は都から「下る」位置にある。能登半島の付け根の西側に千里浜という美しく、長い(千里)砂浜がある。この千里浜の名前の由来の1つに「塵芥が流れつく場所」という意味があると聞いたことがある。川は流れて海に入り、北と南の民は日本に行き着く。全てを受け入れ、全てを生かす。日本の心とはそのようなものではないか。天災が多い時、人の心が内に向いて1つになろうとした時、新たな変革が始まるのではないか。鎌倉時代の元寇以来、日韓には多くの不幸が訪れた。情報社会を迎えた今、互いを理解し、その違いを認めた上で、共に競い合う、共創への変革を推し進める時ではないか。その主な担い手は70年代を青春した世代ではないか。そう信じたい。

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