コラム KAZU'S VIEW
2015年11月
マザーテレサ→渡辺和子の次はどのような女性であろうか?
渡辺和子(ワタナベ カズコ)さんは岡山県にあるノートルダム清心学園の理事長・名誉学長である。「置かれた場所で咲きなさい」という著書が170万部売れている。その人生は壮絶そのものである。父親は日本陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎(ワタナベ ジョウタロウ)教育総監であり、昭和11年の二・二六で48発の銃弾をうけ、即死している。その父親の死場に9歳で立ち会った経験を持つ方である。彼女は父親53歳、母親すずさん42歳の時の子で、4人兄姉の末っ子で次女としてこの世に誕生した。いわゆるはじかきっ子であった。従って、母親は生むことに消極的であったが、父親の「産んでおけ!」の一言で幸運にも誕生できたのだった。自分の人生と重なる境遇で、共感を覚えた。18歳でキリスト教の洗礼を受けた。1963年に36歳という若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任し、1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めた。対人関係の極意は98%の相手への信頼と2%の相手の誤りを許す余裕であると指摘している。相手を許すことで相手の束縛から解放されるという逆転の発想に共感が持てる。この「2」という数字がどこから出てくるのか?3や1ではだめなのか?という疑問を打ち消す言葉が、「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください。」であった。この言葉から連想したのは、パット・パルマ―著、eqPress訳「自分を好きになる本」、径書房、1994に記載されていた、「あなたのステキなところ、わかった?「きもち」が大切だってこと、わかった?そのままの自分を好きなること、できるよね?自分自身を好きになろう。自分自身を好きになれば、みんなと友だちになれる!」、という言葉であった。
マザーテレサは本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュで1910年8月26日生まれ。「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。修道名はカトリック教会や正教会で、修道者が誓願を立てるときに与えられる名前だという。和子さんが洗礼を受けたきっかけは、生まれ変わりたいという欲求からの行動だったようだ。なぜ、生まれ変わりたかったか?は彼女の運命というか、自分の思いとは関係なく降りかかる災難?に直面した人は。「なぜ、私が?」という問いを発する。この問いは?私は周りに贖った(アガナッタ)訳でもないの、どうしてこのような目(危機や不幸)に合うのか?これは、ある環境を危機ととらえるか機会と捉えるかの、認識方法であり、事実認識を陽とみるか陰とみるかの違いであろう。同じ時間を使って生き延びたいなら、その時間を陰陽、どちらでとらえるかは自分の問題であるという考え方である。この指摘は、一見、冷たいように思われるが、その奥底に温かみを感じる。「獅子(シシ)の子落とし」という言葉がある。これは、決して子いじめではなく、親は子の先にこの世を去るという必然に対し、先に行く親の心は、自分がいなくなった時の憂いを生きているうちに自分で確認してから、行きたい、という親心のような気がする。
自分が生まれる際に、母親は私を産みたくないという思いで医者に向かい、医者からそれを思い止めさせられた、と母親から直接聞いた時に、一時はショックであったが、改めて、心から自分の生を感謝できたことを、今さらに、心うれしく思っている。
以上
平成27年11月